「日本」大好きな自称「日本人」の方々が「日本語」の使い方に関して不自由になるとき

はぬる

2014年08月10日 15:15

最近の朝日の日本軍性奴隷制度(朝日の言葉では「従軍」慰安婦制度)の報道で、まるで鬼の首を取ったように喜んでいる人たちがネットで見受けられる。
でも、なんで喜べるのかが良くわからない。
朝日が否定した部分は全体ではなく、ほんの一部であって、その否定した部分がどうであろうと全体像に与える影響はほとんどない。
それが読めないくらいに日本語に不自由しているのだろうか。
これで喜んでいる人たちは、20周くらい遅れている周回遅れの思考を持っていると言えよう。


また、朝日のみが日本軍性奴隷制度を研究していたわけでもない。
いろいろな研究の積み重ねによって評価は定まっている。
秦某氏はネット上の喜んでいる人たち(以降便宜上『否定派』とする)と近い意見を持つ歴史の研究者だが、『否定派』の歴史学者では彼が唯一と言っていいくらいだ。残りの『否定派』のうち、学者の肩書きを持っている人々は大概畑が違う人々で、歴史学者ではない。
個人的に秦氏のインタビューなんか載せなくていいのに、と思った。
吉見氏と小熊氏で充分だ。
バランスをとろうとしたのだろうか。
としても、秦氏は議論を混乱させるだけで現在の研究成果を示すことはできない。
笑えたのが読売だったか産経で、朝日の報道を受けて作った記事に日本軍性奴隷制度に関して自称知識人からインタビューを取ったようだがすべて自社の主張に都合がいい人で固めていた。余りにもばかばかしくて新聞名も忘れてしまうほどあきれた。

『否定派』だけじゃない。研究の成果をしっかり報道できないマスコミの問題だ。
日本の日本軍性奴隷問題の議論がいかに周回遅れか分かる。
以前、何かの記事でこんな文言を見つけた。(産経だったと思うが忘れた)

慰安婦問題の本質的な焦点は『強制連行の有無』


… 違 う か ら

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