2014年09月08日

秋夕

오늘은 추석이다     
         今日は秋夕だ
달이 아주 맑게 비춘다  
         月がとても明るく輝く                        
그날처럼            
         あの日のように
아주 고요하게        
         とても静かに
그 사람도 보고 있을까?  
         あの人も 見ているだろうか
그날과 같은 이 달 빛을... 
         あの日と同じ月の明かりを…





가을 밤 이선희        

가을밤 외로운 밤 벌레우는 밤
초가집 뒷산길 어두워질 때
엄마품이 그리워 눈물 나오면
마루 끝에 나와 앉아 별만 셉니다.

가을밤 고요한 밤 잠 안오는 밤
기러기 울음소리 높고 낮을 때
엄마품이 그리워 눈물 나오면
마루 끝에 나와 앉아 별만 셉니다.

秋の夜   イソンヒ

秋の夜 寂しい夜 虫の鳴く夜
わらぶき屋根の家 裏山の道 暗くなるとき
母さんの胸が恋しくて 涙が出ると
縁側に出て座り 星を数えます
秋の夜 静かな夜 眠れない夜
雁のなく声が 高くなり低くなるとき
母さんの胸が恋しくて 涙が出ると
縁側に出て座り 星を数えます

http://www.youtube.com/watch?v=70Llb3_kbus  


Posted by はぬる at 23:39Comments(0)雑感・いろいろ山形・上山

2012年10月20日

商業施設の多さ=いい街か

商業施設の多さ=いい街か

http://tohoku.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1348915583/
ここでよく上山を叩くものがいた。
提示したURLはPart7で、新しいものなのであまりいないが、Part 4から見ていると次のように叩くものが多かった。
「なんでも反対の街」
「はやく合併すべきだったのにしなかった(この後に悪口が続く)」
「南陽にも人口数で負けた(数が多い=勝ちということらしい)」
「商業施設がない」
「さびれていく一方の街」

確かに、オレたちが子どものときに比べると上山は元気がない、と思う。
シャッター通りと言えるような場所もある。
でもそれは、いろいろなことが原因にあると思う。
不景気もそうだが、後継者不足もあるだろう。
また上山が持つ問題点も原因としてあるだろう。
例えば温泉旅館が自分の客を外に出さず囲ってしまえば、温泉街の隣にある土産物屋や飲み屋はたまったものではない。
この辺りはまっとうな批判だと言える。

しかし、そもそも自治体とは「発展」が最終目的なのだろうか。あるいは商業施設の多さが「いい街」の唯一の指標なのだろうか。上山は必ずしも「市」でなくてはならないのだろうか。上山の個性やら長所を見ず、やみくもな開発は本当に上山の人々のためになるのだろうか。

今、働く場がなく若い人間がどんどん外に出ざるを得ない状況をストップさせるためには、確かに「商業施設」を増やすことは一つの案になるかもしれない。だがそれは一時しのぎにすぎないのではないだろうか。ましてや長期的な視点で見ると、やみくもな開発は結局のところ「上山」のためにはならない。今の「開発」は画一化を進め、「上山」の個性やアイデンティティを破壊するものだからだ。
紹介したURLでは「幸楽苑にきてほしい」という意見もあった。
上山には『新華楼』というおいしくてちゃんとした中華料理屋があるのに!!
(ちなみにオレは一度幸楽苑で食べたことがあるけどあれは中華とは言えないと思う)
『新華楼』をはじめとして、
『モントレーふくや』
『イビサ(http://sorasara.n-da.jp/e275718.html)』
『ジローズピザ(http://samidare.jp/maruge/)』
『原口そばや』
などなど、上山にはおいしいお店がたくさんある。けれど大資本の前にはかなり厳しい状況に追い込まれやしないか、本当に心配だ。
大資本は、上山の人々が育んできたいろんなもの・ことを考えはしない。そうして資本の論理で一気に飲み込んでしまう。食に限らず、いろんなものが失われる。失われてしまったら、取り戻せなくなる。そうなる前に、画一的な「開発」が本当に上山にとっていいものなのか、よく考えるべきだろう。

地方の衰退は上山に限ったことではない。日本社会全体の問題である。
社会が変わらない限り、いくら「商業施設」を増やしたところで根本的な解決にならない。
去年まで田んぼだったところにある新しい「商業施設」を見て思った。
  


Posted by はぬる at 22:21Comments(0)山形・上山

2011年11月21日

「福島の人を(皆)西日本に疎開させるべき」という意見について

まず、前提として疎開したい人は疎開すればいいんじゃないと考えていることを明記しておく。
さて、「福島は危険なのだから特に子どもを中心に疎開させるべき」という意見がちらほらある。
しかしこの意見には何点かの問題がある。

1、疎開にいっても(避難しても)結局いじめられて帰ってくる事実が現実にあること。
この点をなんとかしないと、疎開させても意味がない。このいじめを生み出すのは過剰な「福島・東北は汚染されている」という意識だ。

例えば、地震で発生したがれきをどうするかということに対して、反発する自治体が多いと聞くが、反発が正当なほど本当に放射線量が高い物があるのだろうか。ちょっと考えてほしい。

この地図は早川由紀夫氏が作ったもので、氏のブログ(http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-418.html)内にある。http://gunma.zamurai.jp/pub/2011/0911gmap06.jpg
早川氏は、オレからすると過剰な「福島・東北は汚染されている」という意識を持っている方なのでオレとは意見を異にする方であるが、氏作成の地図を見ても、東北よりは関東のほうが汚染されている。

福島からの避難者に対する態度は本当に正当なものなのか。そして、もし不当なものであるなら、その態度に対して効果的な対処まで考えたうえでの「避難すべき論」なのか。
残念ながら「避難すべき」論者にそこまで考慮したうえでの意見はなかったと判断している。

そもそも、本当に避難すべきなのかどうかもしっかり検証すべきことではある。

2、土地に対する捉え方の違いを無視していること。
田舎の人々の(特に年寄り)土地に対する考え方は、都会の人々の土地に対する考え方と全く違う。
それは農業をしていたり身近で農業をみて育ったりした人にとって、まさに土地は「生活の土台」であり、土地の所有は必須(日本の農業従事者は2000年かけて自らの土地所有権を勝ち取ってきた!!)であるのに対し、その土台から得たものから物を作ったり、売ったりして生活している人には土地はなくてもいいものだからである。土地に依って生きてきたことをわかっているから、簡単にその土地を離れることができない。
福島も農業県である。土地に対する考え方は都会の考え方とは違う人が多いだろう。
しかし「避難すべき」論者は、簡単に、しかも何の葛藤もなしに「避難すべき」を押し付ける。
都会のために原発をつくらざるを得ない状況に追いやられ、危険な原発の恩恵は都会の者のみが受け、いざ事故がおこると都会の人々に「その土地は汚れているから捨てろ」と言われる。2000年の闘争の末に勝ち取った土地所有権を、奪い続けてきた者の子孫であると思われる都会の人々に、都会の人々の都合で今また「捨てろ」といわれるわけである。

「避難すべき」論はある点で良心から主張されていることはわかる。しかし良心から主張されているからと言ってなんでも受け入れられるものではない。
「避難すべき」論は、前述の2点に対する考慮がなければ、あまりに上からの発言であると言わざるを得ない。
また「避難すべき」論の中には「西日本に」と限定するものもいるが、なぜ青森・秋田・山形ではダメなのか。安全なところに避難というのであれば、前掲早川氏作成の地図からみても、文化圏の問題からしても青森・秋田・山形で何の支障もないはずである。ここからは東北を下に見る意識がちらほらしている。
  


Posted by はぬる at 13:21Comments(0)山形・上山

2011年10月23日

洞窟にこもる山椒魚たち

似た意見の者のみが集まる場では、次第に先鋭化していく
…とはどこかで聞いた意見ではあるが、なるほど、それがよくわかった。
某掲示板、正直2chとなんら変わらない水準まで堕していると感じた。
今回のエントリーは、対象(根拠)となるものを引用する紙幅も気力もないのでここには乗せない。だから、チラシの裏の落書きと考えてくださって結構だ。
それでも気になる、という方は、前エントリー『「風評」も「差別」もないことにしたい心理』の451氏のような言説を思っていただければよい。

さて、某掲示板で見られた、傾向は次のとおりである。
1、論争相手の主張を読まない
→主張の細部にのみこだわり全体を見ようとしない
→文章中の因果関係を平気で無視する
→相手の主張を意図的に捻じ曲げる。
 どうしても相手が「自分が解釈した通りのこと」を言っていることにしたい。
 自分の解釈が間違っている可能性もあるのにね
→××(あるカテゴリー。ネトウヨとか)の言うことは○○と決まっている。だからオマエもそういっている
→印象操作も辞さない
→わざとなのか素でそうなのか、日本語を日本語の文法で読まない。
 (不思議な日本語になっているけど、実際そのような場面に出くわした。自説のためには文法すら無視して読んでしまう、ということなのだろう)
→ひどいのになると、自分のコピペしてきた文章に書いてあるのに、「書いてないじゃないか」とのたまう

2、安易に決めつける
→○○と同じことを言っているから、オマエは○○
→○○なら当然こう言うだろう、こう言うべき。なのにそう言わないのは××だからだ
→相手の意見や相手そのものに罵倒の言葉を投げつける
→この掲示板には自分と同じ意見の人間しかいない、と思っている節がある

3、自己省察をしない。謙虚さがない
→上記のようなことを指摘すると、オマエの論調が悪いと来る
→自分の読みが悪かったのかということもない。
→差別や風評を「本人も気づかずにしてしまう」可能性の否定。
 …オレはそんな自信ないです。

4、自己の考えがない
→最近のカキコの多くは誰かのツイッターをコピペするのみ。それに対する自己の見解など皆無
→論争相手に対しても突っ込みのみ。自分の考えはない。
(だから安易に自己を自身と似た他者と同一化してしまうし、論争相手も自己が嫌う他者と同一化=レッテル貼りをしてしまう)
…で相手がその答えにまわっているうちに、主張をぼかす
→自己陶酔。自称武闘派とか「○○という意見は許せないんだ」など…
 相手がなぜ「○○」という意見を述べたかについては微塵も考えない
→0か100かの二元論に陥っている。そしてそれが正しいと思っている。
 二元論では拾い上げられない視点が必ず出てきてしまうことには思いも至らない。そういう視点は切り捨てていいとでも思っているのだろうか。

ざっとこんな感じか。まだあるような気がするが、思い出したらその都度追加する。こう言った人間が全てではないだろうが、少なくとも一定数いて主流に近い論陣を張っているのが、某オルタナティブ@政治経済版の原発に関する言論(と呼べるかどうかも怪しいが)空間の現状である。

このような現状は、彼らが忌み嫌う2chのネット右翼や嫌韓厨とどう違うのだろうか。正直私にはその違いがわからない。方向性は違ってもやっていることは一緒なのだ。

オレはこれらの現状を見ているうちに、洞窟にこもって出てこない山椒魚を思いだした。
洞窟の中はそれなりに居心地がいい。その中で心地いい言説のみを言いつのって、洞窟の外にある数多くの言説を罵倒していれば、自身は「武闘派」などと格好よく奉られるだろう。
しかし、それはあくまで洞窟の中だけの話である。
一歩外に出てみれば、「危険だ」「放射能にまみれている」と言われている地域にも、ふつうに人々の営みがあるし、自分が育てた農作物が国の定めた基準値をパスしたことで安堵している生産者の顔がある。
洞窟の中の山椒魚は洞窟の中にこもっているがゆえにこう言った人々の顔を思い浮かべることができない。ましてや洞窟の中の「正論」が彼らには全く届かないことも、洞窟の中にいるがゆえに(そして洞窟の中が世界で一番広いんだと思っているがゆえに)知る術はないのである。
だから-そこに住む人々の、震災前と大きく変わらない生活を送る人々の顔など微塵も思い浮かばないから-「島流し」などと言う表現を肯定できてしまうのである。
そのような人間の言う「原発で被害にあっている人が心配」という言葉のなんと薄っぺらなことか!!
  


Posted by はぬる at 10:50Comments(0)山形・上山

2011年09月27日

「風評」も「差別」もないことにしたい心理

オルタナティブ@政治経済でまたやってしまった…
なんか質が低下していると感じる。
そのうちこの点について書こうと思っているが今日は、例によって手抜き記事^^

オルタナティブ@政治経済の「インチキメディアを見たら【もう我慢できない】 その4 」内のやり取りである。

446がオレで、関係ない話題は削除。手を加えたのは改行と句読点を適宜(文末に。程度)である。
後で評するかもしれない。とりあえず備忘録的に。

…………………………………………
444 :無名の共和国人民 :11/09/25 08:54:26 ID:iP1nxfw8
フジ産経スレ>>421氏のリンク先を覗いてたら、こんな記事が。
http://techpr.cocolog-nifty.com/nakamura/2011/09/post-1188.html
「名古屋・京都・福岡」は「中世以来の、ケガレと差別の風土が濃密に残る土地柄」(福島民報社)

…この福島の代表的地元紙は、一体何を血迷っているのだろう。福島県民として全く理解に苦しむ。
>福島の産地から送られた農産物を販売する「ふくしま応援ショップ」が、
>福岡市内で行われるはずであったが、
>「九州に福島の物を持ち込むな」「地域の汚染が広がる」などの声によって取りやめになった。
だしても売れない可能性が高かったと思うが。九州産の農作物のほうが明らかに安全だし(玄海原発が危ないようだが)。それをしも「差別だ!」と言いつのるつもりだったのだろうか。
>いくらか頭を冷やして考えれば、これが白河以北に限られた問題ではないことは、直ちに知られる
まさにそのとおりでその点はいくら強調してもし過ぎることはない。しかしこの記事の場合、まるで日本全土がもっと「白河以北」になればいい、と言っているようだ。そして案の定、この事態を招いた原発・東京電力については一言も、本当に一言も触れない。

現状が「風評被害」であるなら、地元民の退避など「思いもよらない」こととなる。「思いもよらない」ことに怯え、福島を捨てた臆病者、卑怯者とこの新聞は決めつけている。将来恐るべき事態が予想されるが責任とれるのだろうか?

他地域の差別なんかより、福島県民の頑民ぶりが読み取れる記事だなこれは。

445 :無名の共和国人民 :11/09/25 10:43:41 ID:EmB8MSTb
>>444
戦争時代といっしょだね。戦争に協力しない国民を非国民とか赤とかいい村八分にする体質はただ戦争時代と違って現代は情報が氾濫しているから言えば言うほど去る人も多くなりそうだ

446 :無名の共和国人民 :11/09/25 12:14:33 ID:Yqfv7kAa
>>444
福島民報の記事ちゃんと読みましたか?

>だしても売れない可能性が高かったと思うが。
売れる売れないの問題ではないでしょう? 東北って一言で言いますが、日本国土の約17%もの広大な面積を持っているんですよ。仮にこの地域のすべてのものが危険であるならば、北関東はおろか、中部・近畿地方まで同様に危険なんですよ。加えて震災当時の風向きから考えて、より危険なのは東北よりむしろ福島以南の地域なのに、中部・近畿は危険なんて意見は全く聞かれないじゃないですか。「東北」をなんでもひとくくりにしてしまう乱暴な視点や、「東北」を遅れたイナカとして見る視点、「みちのく」とか明治維新以来の「白河以北一山百文」という言葉が出てきた背景は、蝦夷がヤマトによって「討伐」されたころから、近畿の政権や東京の政府の根底にあるものなんですよ。(みちのくは「道の奥」が語源ですが、どこから見て道の奥なんでしょうね? 東北の人間からしたら、京都や九州が「道の奥」のはずですが、なぜ東北だけが「道の奥」なんでしょうか)

>まるで日本全土がもっと「白河以北」になればいい、と言っているようだ。
むしろ逆です。東京の電力を補うための原発が福島にある理由も、今中部・近畿は何も言われないのに広大な「東北」がひとくくりに「危険」視される理由も、「白河以北」の視点があるからじゃないの?と言っているんです。

ヤマト(あえてこう言う)がいかに東北を異境としてきたかは『東北-つくられた異境-』(河西英通 中央公論社 2001)に詳しいです。

ただ記事内の「『差別なき東北』を誇りに思う」との文言には反対です。東北には他地域のように表立って目立つことは少ないけれど「差別」はあるし、表立たない分より難しい問題も含んでいます。さらに家父長的な制度も色濃く残っていて、そういう点でも「差別がない」などと楽観視することはできません。

448 :444:11/09/25 13:49:26 ID:iP1nxfw8
>>446
>売れる売れないの問題ではないでしょう?
では、お義理お情けでも開かせていただければ、店頭に並べていただければ、それで満足だと? 満足すべきだと? 地域の白眼視を押し切ってまで? この件に限ったことではないが、その考え方こそ補償をしぶる政府・東電の思う壺だ。そもそも悪いのは原発事故であり他地域からの「差別」ではない。その点に触れず闇雲に「差別」「風評被害」を言い立てるのでは孤立を深めるのみ。日本全土的な地域間連帯こそは必要なものなのに。そして「由らしむべし」の政府は、そういう孤立に親切ヅラでつけこんで来るわけで… 本当の責任者、やるべきことは無視して情念を煽るこの記事はやはり不適だと思う。

449446:11/09/25 16:35:34 ID:Yqfv7kAa
>>448
原発事故も差別もどちらも悪いことでしょう? どちらにもメスを入れるべきだし、当事者の東北人が言わなければ誰も気がつきませんよ。「白河以北一山百文」なんて…

>「差別」「風評被害」を言い立てるのでは孤立を深めるのみ。
原発事故が起きる以前から「東北」はすでに孤立しちゃってるんです。明治以降の「白河以北一山百文」の風潮、原発推進の政策、反対に農業切り崩しの政策…等々。

そして、日本全土的な地域間連帯を言うのであれば、むしろ「東北」とひとくくりにして断ち切っている現実があるわけですよ。陸前高田の薪は危なくて、中部近畿の薪は危なくないなんて思っているのは、主張に整合性が取れているとはいえません。そこは結局、自分が無関心な「東北」だからごっちゃにできるのであって、そういった人々こそが地域連帯を断ち切ってしまっているわけでしょう。

東北の人がそこをもっと声高に言わなければ(言えなければ)、「復興」など絵にかいた餅だと思いますがね。

ましてや、危険性が出てもいない農産物まで「東北産」というだけで白眼視されているのであれば、それは立派な差別であり風評ですよ。東北はダメで中部近畿が大丈夫だということに合理的に回答ができないならなおさらです。

まぁ、こう書いたからと言って、政府や東電を擁護することになるわけでもありませんがね。最初に書いたようにこちらにも、ものを言うべきですが、「差別」や「風評」に対しても言うことは言わないといけないでしょう。

ちなみに震災直後、雑談スレで私はある歌の歌詞を投稿したことがあります。20年前の歌ですが、こう言った声を無視してきたのはいったい「誰」(あるいは「何」、「どういう考え方」)なのか、はっきりさせずして政府や東電のみを責めればいいという意見には賛同しません。

「白河以北一山百文」影法師
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1229591974/488-489

450 :444:11/09/25 20:38:03 ID:iP1nxfw8
>>449
>そこは結局、自分が無関心な「東北」だからごっちゃにできるのであって
あなたは東北の歴史的理念・情念を優先しているようだが、俺は福島県民の生活と健康を優先している。それからあなたは東北全体のことを、俺は福島県のことを考えている。この違いは念頭においていただきたい。俺にとって、福島県民にとって、この事態については東北の中だろうと他県は十分に「異界」だ。それこそひとくくりにされていいものではない。
>東北の人がそこをもっと声高に言わなければ
それはそうだ。助かった地域は助かった地域で頑張って欲しい。しかし福島県は明らかに「助からなかった地域」なのだ。他者を責めるより自分を守ることが先決だ。
>危険性が出てもいない農産物まで「東北産」というだけで白眼視されているのであれば
福島県の被曝農産物は出荷できないし、させてはいけない。また放射線の濃い地域からは即刻逃げた方がいい。この点について「差別だ」などと言いたてても何の救いにもならない。必要なのは、政府と東電による完全補償だ。「差別」「風評」と言い立てれば、己の責任は逃れたい奴等に乗ぜられる可能性がある。政府に東電、福島県以下各自治体もそれを待っているフシがある。それはソトから見ていてもわかるでしょう。

451 :無名の共和国人民 :11/09/26 01:27:15 ID:RLHp9EZK
こういう工作をやってるんだよ。推進派はエセ東北人、エセ福島県人になりすましてね。

実際に放射能が出ている農作物なんて、風評被害なんてものじゃない。この国にとって未曾有の事態だ。一刻も早く避難することこそ必要。

453 446:11/09/26 16:39:16 ID:vnpeUlhn
>>450
>それからあなたは東北全体のことを、俺は福島県のことを考えている。
>この違いは念頭においていただきたい。
了解しました。私は東北の人間ですが奥羽山脈の反対側に住む者なので自然と視点の違いはでてくるものと思います。実際、危険性が出ていない牛肉が値下がりしている、というのは私たちにとっては風評以外の何物でもないですから。

>福島県の被曝農産物は出荷できないし、させてはいけない。
確かにそうですが、福島産であっても危険性の出ていない農産物はあるわけですよ。そういう物までいっしょくたにして「福島」だから…というのは「風評」でなくて何でしょう? ちなみに私の県の私が住む地域では桃は福島産しか売ってませんでしたが。

>また放射線の濃い地域からは即刻逃げた方がいい。
「逃げろ」と言っていることに対して「差別」と言っているのではなく、『白河以南では、福島ナンバーの車が石を投げられた、福島からと知ると買い物を断られた-などというばかげた話をじかに体験した人から聞いた。(この話題のきっかけとなった福島民報:風評被害と戦うために(9月18日)の記事から
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=&blockId=9889471&newsMode=article)
こういう行為のことを「差別」と言っているのだと思っていますが。

こういうことを含めて、もっと冷静になろうよ、と呼びかけるのは問題があることなんでしょうか。

>>451
なりすまし認定は楽でいいですね。

454 :無名の共和国人民 :11/09/26 17:34:07 ID:rsX8Iagw
>>453
自民党政権や東京電力が、福島県に原発を造り続けたこと、事故が起きた後も、政府や電力会社、財界、マスコミ、自民党が原発を推進し続けていること、そして、福島の住人や子どもたちに、佐藤雄平はじめ県が、年20ミリシーベルトの被ばくを子どもたちに許容していること、(原発作業員が浴びる放射線量を子どもに浴びせ続けるのは、明らかに殺人行為である。ICRP基準でさえ年1ミリシーベルト、ECRP基準でさえ年0.1ミリシーベルトが限度だ)これらの方がよほど、差別ではないか、と思う。

「風評被害と戦うために、福島産を食べて応援しよう」という政府やマスコミのキャンペーンは、市民への内部被ばくの推奨であり、つまり、太平洋戦争中、当時の軍部が「一億総玉砕」を推奨したロジックと同じだ。科学的データも健康も人命もことごとく無視した、精神論の極みでしかない。

福島や東北の人たちに何より必要なのは、西日本への疎開を認めることであり、そのために、政府や県が予算を組み、支援することなのではないか。

>危険性が出ていない牛肉が値下がりしている
>福島産であっても危険性の出ていない農産物はある

3・11以降の日本の食品検査基準は、チェルノブイリ事故当事国のウクライナと比べてもひどい。(水:ウクライナは2ベクレル、日本200ベクレル。パン:ウクライナは20ベクレル、日本は500ベクレル。幼児用食品:ウクライナは40ベクレル、日本500ベクレル)

「危険性が出てもいない」どころか、ザル基準で「安全」と認定されただけでしかない。福島産はじめ東北産を出荷すべきでないのは当然だ。特に、まだ身体が成長段階で、放射能の影響を受けやすい子どもたちに、このような食物を食べさせてはいけない。

455 :無名の共和国人民 :11/09/26 18:06:09 ID:RLHp9EZK
>>453
放射能を恐れることを「差別」とすりかえるほうがおかしい。まして石を投げられたなどという伝聞記事が真実かどうかもわからない。

福島は安全だと強弁することは,福島の人に死ねといっているに等しい。あなたがエセの郷土愛をいまさらここで語ることこそ、偽東北人だと思う所以だよ。

457 :無名の共和国人民 :11/09/26 19:53:45 ID:BEiFkMhb
屑レイシスト共が福島県民をも差別した。これが反原発運動のせいにされたらたまったもんじゃない。

458 446:11/09/26 21:09:11 ID:vnpeUlhn
>>454
>これらの方がよほど、差別ではないか、と思う。
そう、だからそういう差別構造が明治維新以降あったということを私は>>446や>>449で書いたし、例の新聞記事は「白河以北一山百文」という言葉で端的に示したんですよ。

>科学的データも健康も人命もことごとく無視した
でも実際には検出量が0の農産物でさえ、福島だから、東北だからダメとなっているんですよ。このことは科学的データの無視ではないんですか。こちらのほうがよっぽど精神論だと思いますがね。

>ザル基準で「安全」と認定されただけでしかない。
徹底した検査の上、検出量が0だったのもですら
>福島産はじめ東北産を出荷すべきでないのは当然だ。
と言い切れるのはなぜですか。
私は>>446で東北全域が危険なのであれば、中部・近畿の農産物も「同様に」危険であることを示しました(その理由については>>446を参照してください)。しかしここでは福島産、東北産と限定して出荷すべきでないと、あなたは仰る。あなたの主張に一貫性を持たせるのなら、中部・近畿の農産物にも同様に主張すべきなんですよ。しかしそれをしないのはなぜですか。

459 446:11/09/26 21:13:11 ID:vnpeUlhn
>>453
>放射能を恐れることを「差別」とすりかえるほうがおかしい。
自分の不勉強を棚に上げて「だって怖いんだもん」と言ってりゃ「差別」はなくなるわけですね。楽でいいわ~。「嫌韓厨のネトウヨ」とどう違うんでしょうか。
>まして石を投げられたなどという伝聞記事が真実かどうかもわからない。
私の地元は温泉地で福島からの避難者もたくさんいますが、旅館業の方からは似たような話をたくさん聞いていますよ。「福島の人がいるなら予約を取り消す」とか…ま、伝聞ですがね。私のこんな伝聞の紹介より、件の記事は体験した人から直接聞いた署名記事なんで、やろうと思えば裏は取れますね。陸前高田の薪の件や、福岡の応援ショップ、愛知の花火騒動を聞くにつけ、さもありなんと思える(というか、「白河以北一山百文」という東北認識構造の延長上にこれらの騒動があったと思う)ので私はやりませんが。

>福島は安全だと強弁することは
いつ私が「福島が安全」だと強弁したんでしょうか。福島だって東西に広い県です。安全な場所もあれば、危険な場所もあるでしょう。それをごっちゃにして福島が「全部」危ないというのはおかしいでしょう。何度も言いますが、東北が危ないなら中部・近畿も同様かそれ以上に危ない可能性だってあるんですよ。それに私は危ない場所から避難することについてどうのこうのと批判はしていませんよ。

>エセの郷土愛をいまさらここで語ることこそ
私の書き込みが「エセの郷土愛」である理由をお願いします。また、「いまさら」という言葉の意味をお願いします。

460 :444:11/09/26 22:16:59 ID:8Xi9L2Rw
>>453
>私たちにとっては風評以外の何物でもないですから
だからそれは一体そもそも誰のせいなのか?「差別」より前に言うべき言葉、責めるべき相手があるだろう。
>>449で
>まぁ、こう書いたからと言って、政府や東電を擁護することになるわけでもありませんがね
などと予防線を張ってますが、あなたの言はそれを頑なに避けているようにしか聞こえない。
>そういう物までいっしょくたにして「福島」だから…というのは「風評」でなくて何でしょう
いや、言いづらくはあるが考えてみればそうでもないんだ。できるだけ放射能に縁の無い農作物を得たい、それは絶対の道理だ。だったら被爆地からできるだけの遠くのものを買うに決まってる。福島県産のものは明らかに「できるだけ遠くのもの」ではない、遺憾ながら。
>>458
>中部・近畿の農産物も「同様に」危険であることを示しました
ならば、それらの地域の農家も東電・政府に補償を求めてしかるべき、と言うべき。「風評被害」「差別」などという曖昧なものではなく、「農作物を汚染して出荷できなくした」生活権侵害の代償として。俺らばかり…あいつらだって…という僻み根性をウエから利用したがる奴は多い。

「差別」があるのは俺も知っている。しかしこの場合、罵声やお涙頂戴が反「差別」に有効だとは思えない。自分の戦いを、自分で戦ってみせることが一番の反「差別」と俺は思う。福島県民、東北人ここにありというところを全国に見せてやりたい。そして政府・東電、その他有象無象との戦いこそ、一番有意義と俺は思っているのだ。

461 :無名の共和国人民 :11/09/26 22:42:13 ID:RLHp9EZK
>>459
>>私の書き込みが「エセの郷土愛」である理由をお願いします。

人々が現状,福島産の食品を忌避するのは、人々の放射能への恐怖であって、断じて差別心ゆえではない。原発事故への恐怖を風評被害や差別問題に矮小化して封じ込めようとしたって無駄だということだ。

あんたがいう郷土愛なんてものが、そこで放射能食らってじわじわ死ぬまで愛する郷土を離れないということと同義なら、在特会のいう「愛国」あたりと同じだわな。

462 :無名の共和国人民 :11/09/27 14:57:40 ID:XUYt6yOA
>>458
>徹底した検査の上、検出量が0だったのもですら

どこが「徹底した検査」なのか。3・11以降に日本政府が勝手に改悪した、ザル基準を当てはめただけだろう。海外の厳格な基準で検査したら出荷停止されてもおかしくないものを、「安全」と決めつけているだけだ。これらのデータを見ても、あなたは、日本政府の食品検査基準を信頼できるというのか。
飲み物の基準値(ベクレル/1リットル)
アメリカの法令基準:0.111、ドイツガス水道協会:0/5、ウクライナ(セシウム137):2、
WHO基準(ヨウ素131):10、WHO基準(ヨウ素131):10、ベラルーシ:10、
ドイツ放射線防護協会(成人):8、ドイツ放射線防護協会(子ども):4
国際法 原発の排水基準(ヨウ素131):40、国際法 原発の排水基準(ヨウ素137):90
日本の暫定基準値(乳児):100、日本の暫定基準値(セシウム137):200、
日本の暫定基準値(ヨウ素131):300

食べ物の基準値(ベクレル/1キログラム)*コーデックスはFEO、WHO共同の合同食品規格委員会
ベラルーシ(子ども):37、ウクライナ(野菜)(セシウム137):40
コーデックス(Sr90、RU106、I129、I131、U235):100
アメリカの法令基準:170、3・11前の日本の輸入品規制値:370
ドイツ放射線防護協会(成人):8、ドイツ放射線防護協会(子ども):4
日本の暫定基準値(野菜)(セシウム137):500、日本の暫定基準値(野菜)(ヨウ素131):2000

松田浩平・東北文教大教授はこう言っている。
「国の暫定基準値の500Bq/Kgは全面核戦争に陥った場合に餓死を避けるためにやむを得ず口にする食物の汚染上限です。もしも放射性セシウム137が500Bq/Kgも含まれた食品を3年食べたら致死量に達します。全てが基準値ぎりぎりではないとしても重複内部被曝を考えれば政府の暫定基準値では10年後に半数以上の国民が致死量以上に内部被曝する可能性が95%を超えます」

福島はおろか、今、日本国内で行われようとしていることは、現代のアウシュヴィッツに他ならない。

463 446:11/09/27 17:33:54 ID:IOf+B5qQ
>>460
>だからそれは一体そもそも誰のせいなのか?
>「差別」より前に言うべき言葉、責めるべき相手があるだろう。
「原発」にかかわる諸問題は、結局「白河以北一山百文」という「東北観」が根っこになっているので、どちらが先ということではないんですよ。「差別」の問題や「東北観」の問題を抜きに何ぼ「政府」や「東電」の責任を責めたところで根本的な解決にはなりません。むしろ「政府」「東電」の責任を矮小化することにつながると思いますよ。

>>まぁ、こう書いたからと言って、政府や東電を擁護することになるわけでもありませんがね
>などと予防線を張ってますが、あなたの言はそれを頑なに避けているようにしか聞こえない。
予防線って…なぜ、風評や差別について「よくない」ということが「政府」「東電」を擁護することになるのか。あなたは、風評も差別も「政府」「東電」の側が言いだしたことと思いこみすぎてはいませんか。私は風評も差別も、そして東京の電力を補うための原発が福島にあることも、明治以来の一貫した「白河以北一山百文」の東北観-そしてこの東北観はほかでもない中央の政府が作り出したもの-が根底にあると主張しています。私からすれば、差別や風評に目をつぶって政府や東電を責めろ、というのは片手落ちでしかないんです。(そうでなければ、あんな早い時期に原発に反対する歌の歌詞なんか貼りつけませんよ。)

>ならば、それらの地域の農家も東電・政府に補償を求めてしかるべき、と言うべき。
(中略)
>俺らばかり…あいつらだって…という僻み根性をウエから利用したがる奴は多い。
だから、僻み根性なんかじゃないんですってば。地理的に東北の農産物がみな危険だというならば、中部近畿も危ないといわなければ主張に整合性が取れないですよ、と言っているんです。放射能って東北にだけ流れていくものなんですか。

464 446:11/09/27 17:41:07 ID:IOf+B5qQ
>>461
あなたが私をなりすまし認定した行為は、端的に「オレの考えと合わないやつは東北人じゃない」と決めつけた行為にほかなりません。
あなたは何様ですか。
さらに東北にだって様々な人がいろんな考えをもって生活しています。あなたの行為はそれらの多様な人々を無視する行為です。要するにあなたのしていることは口では偉そうなことを言いながら、多様性のある東北を無視することであり、そういった行為自体が「白河以北一山百文」の東北観なわけです。そうやって「風評」(や時には「差別」)を助長していくわけですね。

465 446:11/09/27 17:44:23 ID:IOf+B5qQ
>>462
昨今の原発に絡む問題では「危険だ」と言っているほうがはるかに楽ですよね。
いいんですが、ではあなたは日々、何を食べて生活しているのでしょうか。東北の食べ物が「危険だ」と言っておきながら中部・近畿産のものは食べていませんよね。

海外からすると日本は丸ごと「放射能に汚染されている」と見られているそうですが、彼らの言い分には1も2もなく「はい、そうです」と答えるんでしょうか。

466 :無名の共和国人民 :11/09/27 17:56:38 ID:3jFsf6z8
スーパーに放射能測定器を設置すりゃいいんじゃね

467 :444:11/09/27 19:16:38 ID:HvFf0Ipu
>>463
>どちらが先ということではないんですよ。
いや、東電と政府に加害され、苦しめられている人々が現に沢山いる。そういう人たちの生活や健康を守ることを何より真っ先に優先すべき、全力を傾注すべき。
>根本的な解決にはなりません
とにかく上記を完全に実行させるための、力のせめぎあいに勝つことが先決。根本的な解決=相手の改心は最も有効なツールだろうがその見込みは限りなく薄い。時間や力の無駄はもうできない。
>あなたは、風評も差別も「政府」「東電」の側が言いだしたことと思いこみすぎてはいませんか
それが事実なのだから仕方ないだろう。
>中部近畿も危ないといわなければ主張に整合性が取れないですよ、
で、整合性をとって、どうなると?「どうせどこの農産物も危険なんだ、だから東北の農産物も買え!」とでも主張するつもりか。俺の持論は「助かった地域は助かった地域で頑張って欲しい。」につきる。他を叩くより自らの安全性を証明したほうがよほど有意義だ。もちろん国や自治体のザル基準・ザル手法に頼らない方法で。
>>465
>海外からすると日本は丸ごと「放射能に汚染されている」と見られているそうですが
これは8割がた本当のことで謙虚に受けとめるべきではないか。事故前の数十倍の放射線、放射性物質が全土をワンワン飛んでいるのですよ。

なりすましとは言わないが、理念情念ばかり先行させて目の前の惨状はどうするつもりか? と、正直思う。

468 446:11/09/27 20:39:42 ID:IOf+B5qQ
>>467
だいたい互いの意見が集約されてきたような気がしないでもないですが…

>>あなたは、風評も差別も「政府」「東電」の側が言いだしたことと思いこみすぎてはいませんか
>それが事実なのだから仕方ないだろう。
「政府」「東電」だけが風評や差別を主張するんですか? それは無理があるでしょう。実際に風評にあっているもの、差別を受けたものがいるんですよ。それについて「こういう事実があるんだ」と主張することを控えなければならない理由はないでしょう。その人たちも「東電と政府に加害され、苦しめられている人々」のうちの一人ですよ。なぜ分けるのでしょうか。こういった被害は被害ではないとでも仰るつもりですか。

あなたこそ「とにかく東北の農産物は皆危ないんだ」という信仰にとらわれて、被害にランクを付けているような気がします。
だから、私の主張も
>「どうせどこの農産物も危険なんだ、だから東北の農産物も買え!」
と捉えてしまう。
(続く)

469 446:11/09/27 20:44:19 ID:IOf+B5qQ
(続き)
私の主張は
1、「東北」の農産物は皆危険なのか。危険でない物もあるのではないか。
(最近の例だと、山形のコメからはセシウムが検出されていないわけですが)
そういう危険でない物まで「危険だ」というのは風評でないのか。ましてや広い東北、「東北のものはすべて危険だ」というのは無理がある。また、「東北産」すべてが危険だという根拠も乏しい。

2、もちろん危険な農産物もある。だから「東北産」とひとまとめにしないで、危険なものと危険でない物に分ければ「風評」ではなくなる。しっかり危険なものと危険でない物を選び分ける「冷静さ」が必要だろう。また、こうして分けることで、実際の被害がどれだけあったのか、具体的な指標で以て「政府」「東電」の責任と補償も追求できる。(曖昧なままでは曖昧に終わる)

3、さて、では多くの人はなぜ「東北」を目の前にその冷静さを失ってしまうのか。そこには明治以来の「白河以北一山百文」の東北観があるからではないのか。ずっと東北は眼中になかった、だから広い東北を一緒くたにできてしまう。

4、私は「東北産」はすべてが危険なわけではない(もちろん危険なものもある)と思っているが、「東北産」すべてが危険だと考える人の考えに沿えば、当時の風向きや面積から見て中部や近畿も危険だと主張しなければ整合性がない。けれども「東北産」すべてが危険だと考える人の中から「中部近畿産」の農産物が危険だという意見を聞いたことがない。その根底の理由にやっぱり「白河以北一山百文」の東北観があるからだろう。そしてそれはやっぱり「風評」や「差別」につながるもとでもある。

私は一度も「どこの農産物も危ない」と言ったことはなく、「東北産・福島産」の中にも「助かった」ものはあるのだから、その「助かった物」まで「危険だ」言うのは「風評」だよ、と言っています。そして「風評だよ」と指摘することは、「助かった地域で頑張」らなければならないことのうちの一つではないですか。そういうわけで「どうせどこの農産物も危険なんだ」と言っているのは、むしろ「東北産」すべてが危険だと言っている方々です。


  


Posted by はぬる at 21:39Comments(0)山形・上山

2011年09月25日

白河以北一山百文

陸前高田の薪問題や福岡の福島応援ショップ撤退の問題、愛知の花火自粛問題などを聞くと、20年前の歌だが、こういう東北の主張を無視し続けてきたのは誰なのか問い詰めたい。
そして、どの口で「がんばろう東北」等と言っているのか、恥ずかしくはないものか伺ってみたい。

白河以北一山百文 (影法師)

都会で出たゴミ しこだまつけで トラックこっちさ のんべ(捨て)に来る
こごらの土地は 値打ちねぇがら ゴミぶん投げんなさ 丁度いいなだど

※白河以北一山百文て  みがすめらっだ(侮られた) あん時から
 あっちの野郎べら 持ってくんなは  おらだのだって(危険な)もの ばっかしだ

リゾートなつうもの こしゃぐ(作る)ために 山だて沢だて ぼっこ(こわ)される
ちゃらちゃら 遊ぶ 野郎べらのため なしておらだが 泣がんなねなや

※繰り返し

原発みだいな だって(危険な)ものは ないでもこっちさ 押つけでよごして
いい思いすんなは 我だばっかし ばっぺな(割に合わない)もんだな 東北なつうなは

※繰り返し

ゴミだて原発だて おめだ(お前たち)のもんだも そっちでなんとが すんなが筋だべ
ゴミさまんびっちぇ(まみれて) 生きでみんだ 原発しょって 暮らしてみんだ

※繰り返し

……………………………………………
原発推進の政策は農業否定の政策と表裏一体のものではないかい?

財界やアメリカも工業化を望んでいる。
日本の工業製品は国外に売って、アメリカの農産物を買うということでバランスをとるのが、財界・アメリカの望み。
んでもそうすると国内の農業は邪魔なんだよな…
それに日本が工業化、近代化するためには原発が必要。
そうだ!
農業をつぶす代わりに原発を置かせて、補助金でもやればいいんじゃね?

…80年代の自動車輸出による貿易黒字と輸入自由化の問題は、上記のような構造から表面に出てきたものだと理解しているが、どうだろう。

そしてこの構造の中で、一番おいしい汁を吸えた者は、どこに住む人だったろうか。
……………………………………………

ある農業青年の主張  (影法師)

オレの田んぼんの 鼻面もとに ベナべナ板の 家ができた
ある日 田んぼで たい肥をまいてたら 奥さん飛んできて こう言った
「まぁ、やめてください そんな汚いもの家の前にまくのは」

※あぁ できるものなら できることなら こいつに米は 食わせたくない

ウサギ小屋に住んではいても 気持ちだけは 中流家庭 
中流家庭の奥さんが来て 稲の苗見てこう言った
「まぁ、立派な芝生ですこと 最近はリゾート開発が盛んですから 
芝生もけっこういいおカネになるんでしょうね」

※繰り返し

田植えをしていた五月のある日 子どもを連れて奥さんが来た
泥にまみれたオレを指さし 聞えよがしにこう言った
「ボクちゃん、よーく見ときなさい 勉強しないとね 大きくなったら
あんなことしなくちゃ いけなくなるのよ」

※繰り返し

経済大国 飽食日本 誰もかれもがにわかグルメ
稲刈りしてると 奥さんが来て まじめな顔してこう言った
「お宅では まだササニシキを作ってらっしゃるんですか
 宅の主人はグルメなものですから 
山形のササニシキはまずいと言って 食べませんのよ」

※繰り返し

選挙の時だけ 百姓の 味方面する政治家先生 
上がってしまえば こっちのもんだと ついつい本音が 顔を出す

「私も米の全面的な自由化には反対であります しかしながら、昨今の情勢を鑑みるに
 米一粒たりとも輸入しないというのは あまりに非現実的な考えなのではないかと 
斯様に思う次第であります」

※繰り返し
  


Posted by はぬる at 17:28Comments(0)山形・上山

2011年08月22日

じゃあオレたちは何を食べろというんだよ

オルタナティブ@政治経済から
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1159865926/162
………………………………………………………………

鈴木りり(lily3193)
http://twitter.com/#!/lily3193/status/104888544413229056
特に独身の若い方、もうコンビニ弁当やコンビニ野菜、安いチェーン店の外食は
やめたほうがいい。福島県やその隣接県の値崩れした食材をバンバン使うから。
所詮彼らの儲け主義は人の健康なんか考えていない。食事は産地を選んだ食材を
使って自分で料理するのが、体に一番良いのだ。
8月20日 モバツイ / www.movatwi.jpから

………………………………………………………………

こんな物言いは所詮、(心理的に)自分を福島から離れた場所に位置付けているから言えることだろ?
消費に特化した場所に住み、農業の生産に従事したことがない人だから言えることだろ?
この鈴木りりという人がどこに住んでいるかはわからない(神奈川らしい)けれど、この人の頭の中に「東北はない」ことがはっきりしている。

>福島県やその隣接県の値崩れした食材をバンバン使う
ただで野菜や果物をやり取りするのが日常のオレの周りでは、ある意味「超値崩れ」しているな。
>所詮彼らの儲け主義は人の健康なんか考えていない
資本主義の中での儲け主義は当たり前。
けれど値崩れした福島産のモモには「儲け主義」以外の意味もある。
それに野菜や果物に関しては、人体に害がある程度の放射能を検出した、という結果を聞いたこともない。
それよりは、東京資本の開発によって、地元の食材を汚染した、という事件なら何ぼでも聞いてきたのだが。
>食事は産地を選んだ食材を使って自分で料理する
言う通りにするなら、オレたちはそもそもの段階で産地を選べないのだが。

原発には確かに反対だ。放射能(線?)についても、いろいろ言われていることも知っている。
おそらくこの人は原発反対、放射能は危ないという立場から書いたものだと思う。
けれど、この物言いに与することは絶対にできない。
  


Posted by はぬる at 13:20Comments(0)山形・上山

2011年07月28日

イビサ

山形県上山市にある洋食屋 イビサ。

もう34年になるという。

上山には他にも「メイプル」だとか「ルイジアナ」、今は和食屋になっているお店(店名忘れた)なんかがあったが、少しずつ消えていった。

上山ではなかなか『洋食』自体が根づきにくいのかも知れない。

その中でイビサは34年の間上山に洋食を提供し続けた。
これはすごいことだと思う。

で、そのイビサに行ってきた。





ここに来ると普段、たのむのはナポリタン。



いろいろな地域にすんだが、このナポリタンを超えるものにあったことがない。
んでもこの店は、カツカレーもおいしいのだ。
いつもかなり悩んで、結局毎回選ばなかった方を選べばよかったと後悔する。

そのほかにも若鳥のから揚げもたのんだ。



これが、実にあっさりしていて、もういくらでも入ってしまう。
付け合わせの野菜と一緒に食べてもいい。

料理を食べて幸せになる瞬間だ。

このお店にも、この先ずっと上山の人々に幸せを提供してほしいと思う。
  


Posted by はぬる at 13:55Comments(2)山形・上山

2011年07月14日

うりひゃ~!でーじまーさんどー^▽^

夏になると、そーきやごーやーちゃんぷるーが食べたくなる。
…て、ことで山形市青柳にある美ら海(ちゅらうみ)に行ってきた。



島唄が流れる店内の雰囲気はまさにうちなー
こんなして泡盛が並んでるのもなんだか懐かしい



そーきとごーやーちゃんぷるーをたのんだ



店の人は少し山形の人の味にあわせている、と言ってたけど、あんまりそうは感じない
おいしかったので、がーして一気に平らげた
^-^

ところで、
こーれーぐーすー




泡盛にトウガラシをつけたもので、ピリッと辛く、そーきにかけて食べる
けれどオレはごーやーちゃんぷるーにもかけて食べる
薬味だけれど、あまりかけすぎると飲酒運転になるのかなとも思うが、それでもかけてしまう

こーれーというのは高麗、ぐーすーは薬、という説がある
トウガラシのことをこーれーぐーすーと呼んでいたが、次第にこの薬味も呼ぶようになったとのことだ
琉球王国の交易時代に朝鮮(高麗)から伝わった、らしい
らしい、というのはトウガラシ自体もともと
ポルトガル→日本→朝鮮(秀吉の朝鮮侵略の時、という説がある)→琉球
と、いろいろ旅しているからだ
少なくとも、琉球の人は交易を通してトウガラシを手に入れたこと、交易網の中には琉球-朝鮮(高麗)ラインがあったことを示唆している
こーれーぐーすーは、現代の食卓にありながら、明(清)を中心とした冊封体制の中でアジアが大いににぎわっていた時代の様子を伝えてくれる生き証人だったりするのだ  


Posted by はぬる at 11:03Comments(6)山形・上山

2011年07月07日

めんたいすてぃっく

メンタイスティック
皆さんはこの響きから、何を想像されるでしょうか。

明太子を使った何か…?
スティックという響きからお菓子の可能性も…?



いえいえ、衣をスパイシーにした鳥の手羽先の揚げ物でございます。
山形は上山の鮒忠という会社が出している商品です。

……………………………

鳥の手羽先の揚げ物でこれに勝るものはないと個人的に思う。
お酒のおつまみにもいいのだが、
熱くてこい緑茶と、炊きたての白いご飯、それにこの揚げたてのメンタイスティックは最強の組み合わせだ。
B級グルメなんてのが流行っているらしいが、これはB級グルメになるのかな。
もっとも、オレは「B級グルメ」なんて物言い自体が好きではないが。

パッケージはこんな。口あけちゃったけど…


揚げるとこんなになる。


これがないたって、んめなよ~^0^/

個人的にいつまでも残っててほしい食品の一つだ。

………………………………
みなさんも上山にお越しの際はぜひお買い求めください。  


Posted by はぬる at 20:06Comments(2)山形・上山

2011年07月07日

無理してがんばらんくていいさ~東北

巷には「がんばろう東北」なんて言葉があふれている。
その欺瞞性については以前書いた("がんばろう日本""がんばろう東北"の呼びかけがウソな理由)。
んでも、そんなにがんばらんくてもいいよ。
明治以降、散々中央の政府にいじめぬかれて、それでもがんばってきたんじゃないか。
東北の基幹産業である農業は、近代化、工業化、減反、高度経済成長、輸入自由化、そして今またTPPと相当に長い間否定され、生かさず殺さずでいいように扱われてきた。
それでも、現在も東北6県に農業が根付いているのは、東北の人たちが相当にがんばってきたからじゃないか。これ以上何をがんばれというのか。

がんばろう東北に同調する人は、輸入物の牛肉なんて食べないんだろう。ましてや輸入物しか使っていない牛丼屋チェーンなんかには絶対に行かないだろう。
がんばろう東北に同調する人は、東北の歴史や文化を、受動的なものではなく、能動的に見ようとする覚悟があるんだろうか。

もちろん復興は大事だ。けれど、何のビジョンもなく、以前の東北の姿に戻そうというだけの復興なら、それは全く意味のない復興だ。地震と津波はいっぺんに東北人の生活を奪ったが、TPPや農業否定の政策はゆっくりと東北人の生活を奪う。スピードの差こそあれ、生活を奪うという点では同じなのだ。もっとも、後者は生活のみならず、東北人のアイデンティティや東北に長い間根付いてきた文化すら奪うものでもある点で地震や津波とはまた違う。
旧態依然の東北のイメージのまま、復興を言われても、がんばろう東北と叫ばれても、すぐに生活を奪うのでなかったら、ゆっくり生活とアイデンティティ、文化を奪うだけで、そんなのは意味がない。

東北人はもっとわがままを言うべきだ。もっと感情を表に出すべきだ。

地震後、ACのCMがたくさん流れた。その中にはSMAPとトータス松本が出てくるものや、サッカー選手が「ニッポン、ニッポン」と連呼するものがあった。これらのCMは本当にいやらしくて嫌いだった。トータスに対しては「日本が強いからって何なんだ。その強さは東北をはじめとする日本に無数にある地方から搾取してきた結果だろう。威張れるもんじゃない」、サッカー選手に対しては「勝手に一つのチームにすんなよ。日本ってそんな風にひとくくりにできるほど画一的なのか?いや、そもそも地方の独自性なんか全く興味ないから勝手に一つのチームにできるんだな」と思っていた。同じACのCMなら東北六県のゆるキャラが、東北6県のうまいものを紹介するCMが好きだ。山形はお好み焼き(どんどん焼き)だったが、CMに使われている言葉は各県の言葉で「くってけろ」とか「んまいぞ」というものがほとんどで、ナレーションは「うまそうだねぇ。誇ろう、ふるさとの元気。東北」だけだ。ここには「がんばれ」という言葉も「強い」という言葉も全くない。全く素朴に東北にはこんなうまいものがいっぱいあるんだ、と言っているにすぎないCMだ。けれど、ほかのどのCMよりも東北人の気持ちにそっていて、力を与えるCMになっていると思う。

無理してがんばらなくてもいいのさ。
ただ自然に、「もう一度あのおいしい○○食べたいなぁ」、「あの場所に行きたいなぁ」と思えればそれでいい。
「がんばる」という言葉はこれらの自然な想いを押し込めて、かき消してしまう。
けれど自然な思いが「強さ」に一番つながるんじゃないかな。
  


Posted by はぬる at 12:19Comments(0)山形・上山

2011年06月29日

栗川稲荷

山形県上山市の栗川稲荷神社にはたくさんの鳥居がある
たくさんの鳥居をくぐった先に何があるか…
そんな雰囲気があって、
それが子どもの頃にはたまらなく不思議ですこし怖かったりもした





(これは何年も前に撮った写真)  
タグ :上山


Posted by はぬる at 13:54Comments(0)山形・上山

2011年06月26日

サフラーハンバーガー

サフラーで写真を撮らせてもらった。
店内は80年代の雰囲気があるような感じが個人的にはする。



ドリンクは、シェイクの種類も多くなかなか迷ったが結局コーラにした^▽^

山形市江俣にあります。

山形市にお越しの際はぜひお試しあれ  


Posted by はぬる at 12:18Comments(2)山形・上山

2011年05月31日

上山合併話に対する意見

はじめに
このエントリーは枝松氏のブログにあげられた
「合併を問う住民投票条例に反対した理由」というエントリーに対する批判という形をとっている。
地方自治の問題を考えるのに大事な問題をはらんでいると考え、このエントリーを立ち上げた。

枝松さんの今回のエントリーは釈明でも詭弁でもない、おそらく正直なところを書かれたのだと思います。
だからこそ、このエントリーに対する意見を真摯に書かせていただきます。
枝松さんは表立った反対運動もない中、と書いていますが、これには疑問が何点かあります。
私は上山の合併話を沖縄に住んでいたころ知りました。「がんばれ上山」という合併反対派のホームページです。(いまはもうありませんが、キャッシュは残っています。http://www2.jan.ne.jp/~ganbarou/
このホームページには前議員の五十嵐秀夫さんも掲示板によく書き込みをしていました)
そのホームページは少なくとも2002年にはあり、2003年(平成15年)の段階には反対を表明している人はいました。ですので、表立った反対運動もないまま、という表記は印象操作的な作為を感じます。
では、なぜ反対運動がなかったように見えたか、理由は簡単だと思います。
市政に対して意見を述べる場が、選挙以外なかったからです。市長選が無投票だったら、なおさらです。当時議員だった枝松さんにはわからないかもしれませんが、上山市には一般市民が市政に積極的にかかわれる場もなければ、時間も余裕もありません。上山市において何か行動しようとするとき、よっぽどの余裕がなければ運動など出来やしません。ましてやNPOなどにもかかわっていないような人はなおさら、その方法論さえわからないのです。気持ちでは反対でも、どこにその意見を持っていけば市政に反映されるか、意見を持っていったところで徒労に終わるだけではないのか、そういう不信感が市に対して常にあるのです。そうやって、まごついているうちに一部のNPOだかなんだか(まぁ、要するに、一部の人たちって意味です)と市で、どんどん話が進められていってしまう。おいてきぼりを感じた市民は多かったと思いますよ。それは今でも同様です。
そのことがよくわかる文章が「がんばれ上山」にあります。
引用
  (前略)ちょっと立ち止まって考えてみようではありませんか。
 いま、なぜ、合併なのでしょうか。
 山形市との広域合併以外に、私たちの街が生き延びる道はないのでしょうか。
 大きな街の一部となって、「街づくり」はもちろん、「人づくり」までも他人の手に委ねなければ、私たちの街は、21世紀まで存続し得ないのでしょうか。
 私たちは、感情的になって合併反対を叫ぶつもりはありません。もちろん賛成を唱えるつもりもありません。また、古くさい責任論をもちだし、個人批判をするほど愚かでもないつもりです。
 ただ、なにも知らないまま、なんの情報も得られないまま、合併を前提とした話しあいが進められるのだけは、耐えられません。
 今、私たちの街の存亡に係わる選択を迫られているならば、せめて充分な考える時間と現状の詳細な情報の開示が必要と確信しております。
 明るく、希望にみちた街を創るための、数ある選択肢の中から、何故「広域合併」の道を選ばれたのか、その明確な理由を知りたいと願っております。
引用終わり

「突如出現した」というのは枝松さんが気付いていなかっただけだと思います。私は沖縄にいて、反対の人たちの意見をつぶさに見ることができたのですから。そして、その意味で「賛成反対双方が同じ土俵にある必要」性を否定していたのは賛成派のほうです。反対派からすれば…いや、おいてきぼりをくっていると感じる人にとっては、住民投票することで賛成派の土俵にやっとあがれるからです。選挙しか意見表明の場がなかった人たち=おいてきぼりをくっていると感じている人たちが「住民投票」によって、話を進めている一部の人たちに意見を言うことができる唯一のチャンスができるはずでした。そういった意味では、上山の未来を決める「住民投票」は必要不可欠でした。
枝松さんの最大の間違いは上山の未来を決めるのに、結局のところ合併ありきで、山形市の思惑にとらわれすぎていたことです。
>編入合併(吸収合併)との話になり、当初から対等合併を主張していた上山市側は、とんでもないことだと言い始め、
それが事実なら、その時点でもうすでに合併話の行く先は決まっていたようなものですね。上山の合併派ののぞむ合併方式(しかも絶対に譲ってはいけない根本の問題)ではなかったのだから。ここで住民投票をできない、というのは本末転倒でしょう。なおさら、上山市民の意思を確認する必要があったはずです。
>住民の意思を問う前に合併破談という結果が出てしまうようでは、合併反対派はいいでしょうが、合併賛成の人が意見表明する場を失うことになるのです。
と言いますが、根本的に逆です。なぜ、やる前から結果を決めつけるのか、そもそも、自治というのは、住民の意思があって自治体がそれを受けるというのが順序なのに、この場合は、まず合併話があってそれを住民に問うとなってしまったからおかしくなってしまったんです。「上山市民」の住民投票の結果「合併する」となったら、それを山形市に持っていって交渉すればいいのであって、山形市が「無理して合併しなくてもいいんじゃないですか」と言うかも知れないから「上山市民」の住民投票は反対、というのでは本末転倒です。はっきり言って、議員の仕事を放棄しているとしか言えないし、住民不在の合併話であったことが枝松さんのこのくだりではっきり分かってしまいます。

蛇足です。
枝松さんは、「大局に立てば」などと言いますが、正直なところ芯がないように感じます。政権交代の時のやり取りでも感じたし、今回のエントリーでも随所に表れているのですが、時流に乗ることに躍起になりすぎて、どこかに自分の芯を置き忘れていないでしょうか。
例えば、
>現時点での合併については、その空気がないと感じています。
とのことですが、だから何なんでしょうか。それでも賛成だ、と言いたいのでしょうか。だから反対だ、と言うのでしょうか。
枝松さんはどうも、空気があろうが無かろうが自分が賛成なら賛成、反対なら反対と言えない人のようですね…むしろ、率先して空気を読んで多数派につく…といった感じがします。だから、確かに寝返ったわけではないですね。ただ、空気を読んだだけと理解できます。
参考
がんばれ上山サイト内にあった文章
http://www2.jan.ne.jp/~ganbarou/otayori.html
上山合併に思う
 どの町にも歴史がある。どの町にも脈々と積み重ねられてきた過去がある。上山とて例外ではない。上山には上山のアイデンティティ-とも言うべき歴史がある。確かに、そこには歴史がある。それは動かしようもない事実である。
 しかし、そうは言っても、我々は上山の歴史をどれほど知っているというのだろうか。歴史々々と声高に叫んでみたところで、我々は教科書に載っている事柄のみが「歴史」であるという錯覚に陥っているということを否定できるだろうか。
 受験戦争などという愚かな妄想にとりつかれた者は往々にして、「教科書に載っているコト=有名なコト=覚えなければならないコト」の表裏一体として「載っていないコト=無名なコト=取るに足らないコト」という観念を持っているのではないだろうか。

 上山について考えてみれば、この町が教科書に登場することは皆無に近い。いやいや、江戸時代、幕府によって流罪とされた沢庵和尚がやってきたじゃないかと言ってはみても、それは「流刑地としての上山」であると切り返され、我々も「沢庵和尚=たくあん漬け」くらいの知識しかなくては、「教科書党」から上山は日本の歴史を語る上で受動的な役割しか果たさなかったと揶揄されても反論出来ない。


 だが教科書だけが歴史ではない。断じてそうである。しかし、我々が最も親しみやすい小説や時代劇でも上山を取り上げられることが滅多にないとあっては、周囲に忘れ去られてしまうのも無理からぬこと。
 いくら昭和の名城・上山城などという鉄筋コンクリ-トのケンゾウブツを造ったところで、斎藤茂吉のPRに全精力を傾けたところで、我々上山市民がこの町について何も知っていなくては「歴史と伝統ある上山」 というお決まりの謳い文句も中身がカッラポだろう。


  では、この町に語るべき歴史があるのだろうか。この問いはひょっとしたら東北地方の多くの自治体にも同じことがあてはまるかもしれない。
 東北の歴史、それは一体何か。奈良平安の都華やかなりし頃から、いやそれよりずっと前から、所謂「中央政府」から蝦夷(エミシ)」と蔑まされ、藤原三代の栄華も幻の如く、兵どもが夢のあと、如何に伊達政宗が「奥州王」となろうとも、秀吉・家康の前では臣下の礼をとらざるを得ず、あれほど愚直なまでに天皇に忠誠を誓った会津藩は、薩摩長州の私怨と革命の論理のため「賊軍」の名の下に蹂躙され、最後に残ったものは「白河以北一山百文」という東北蔑視の風潮、岩手出身の首相・原敬が維新の無念を晴らすため奮闘しようとも蔑視風潮は残り続け、いつの間にか今日に至っている。


 世間一般的に「田舎」と言えば東北である。決して山口や鹿児島というような「西」や「南」の地方ではない。テレビなどに登場するステレオタイプの「田舎者」も必ず東北人である(標準語は別として、関西弁や最近では九州弁が市民権を得つつある昨今、東北弁は以前として「訛り」である)。


 東京や、それに類すべき大都市に対して、その他を「田舎」というならば、「田舎」は全国至る所にあるのにである。「田舎」が悪いというのではない。寧ろ、その逆であると思う。問題は「田舎」を「都市」に比べて一段低く見るという風潮であり、その蔑視すべき「田舎」を東北に投影してきたという歴史的事実である。
 更に厄介なことに、この国には、人口が多い町が「都市」しかも「格式高い都市」であるという幻想が存在する。そして、その「都市」になるために血眼になって周囲を合併しようとする自治体があり、また、その誘いに応じ、大なるものに阿諛追従しイチの子分のように尻尾を振る不逞な輩もいる。そんなことをしても「都市」にはなれないのにである。


 何故、「都市」になろうとするのか。何故自分の「田舎」に誇りが持てないのか。 我々は無理やり仙台に合併された町の哀れな末路を見てきたはずではないのか。いずれ捨てられて、ますます寂れてしまうことが分からないのか。
 話がやや混乱した感もあるが、言いたいのは、我々の町にも教科書や小説に載らなくても語るべき歴史があるということである。
 以下にある一つの話を簡単に示そうと思うが、それは「東北=田舎=中央に劣る」というイメ-ジを決定した明治維新に関係することである。
 或いは、劣等感の裏返しである中央・大都市思考の出発点とも言えるかもしれない。なぜなら、維新の結果、東北諸藩は中央政界に踊りでて自ら主体的に行動するというチャンスを葬り去られ、上山松平三万石も「中央政府」の名を語る明治新政府によって「賊軍」の烙印を押され、他の東北諸藩とともに不当な差別を受けることになるからである。



 慶應三年(1867)、江戸幕府はもはや死に体となっていた。そして天皇を「玉」として頂き、討幕の構えを見せる薩摩長州の動きも活発となっている。
 このような状況の下、将軍・徳川慶喜は起死回生の秘策を練った。二百数十年もの永きにわたり徳川家が担ってきた政権を朝廷に返上する、即ち「大政奉還」である。慶喜は、先手をうって政権を返上することで、武力倒幕を狙う薩摩長州の大義名分を奪おうとした。
 しかし、慶喜は何も慈善事業でむざむざ政権を政敵に渡したわけではない。自分が身を引くことで、内乱の危機を回避しようなどというような奇麗事を考えたわけではなかった。
 朝廷は政権を返されても、全国を統治するだけの機構も経済的基盤も何もない。慶喜には、「名」があっても「実」が伴わないのであれば、朝廷はすぐに政権を徳川家に再び与えるだろうという読みがあった。そして、その上で徳川家を中心に全国諸大名・諸藩士を結集して会議を開き、諸大名連合の新政権を樹立しようという統一国家構想があったのである。
 だが、薩摩長州はこれを見抜いていた。時を経ずして、薩長は王政復古のク-デタ-を決行。徳川家に旧幕府直轄地を朝廷に差し出すことを要求し、名実ともに徳川家を骨抜きにしようと画策する。
 これに対し、会津藩を中心とする徳川恩顧の諸大名や旧幕府兵などが激昂。薩長討つべしの声は日増しに高くなる。慶喜はこれを抑えきれなかった。そして、ついに旧幕府軍は薩長と京都・鳥羽伏見で激突、ここに戊辰戦争の火蓋が切って落とされたのである。



 と、ここまで書いてみても上山の「カ」の字も出てこない。「薩長」だの「鳥羽伏見」だのと、歴史に興味がある人にお馴染みの文句文言が並べてあるだけで、一体どこに、上山のような小藩が入り込む隙間があるのかと疑問に思ったとしても、それは至極当然のことである。
 だが、確かに上の事柄に上山が関わっていた。それは、旧幕府軍と薩長が激突する鳥羽伏見の戦いに至る過程に於いてである。
 旧幕府軍と薩長が大坂と京都で対峙し、一触即発の危機にあった慶應三年の末、江戸では薩摩藩が不穏な気配をみせていた。薩摩は不逞の浪人や無頼の徒を煽動し、江戸の市中で強奪や放火などの破壊活動を行わせていたのである。
 これを直接指揮したのは薩摩藩士・益満休之助という人物であるが、勿論これは薩摩藩首脳の指示によるものであった。薩摩藩首脳、即ち西郷隆盛である。
 西郷は江戸のみならず関東一円の騒擾も画策していた。
 この西郷の謀略の目的は何か。まず、京坂に注目している旧幕府の目をそらそうとしたため、つまり旧幕府方の兵力の集結を防ぎ、討幕派が包囲され京都に孤立するというような事態を避けようとしたためである。
 そして、それに関連して、旧幕府軍に開戦を決意させ、早期に武力で決着させるためである。また、或説によれば、旧幕府の方を先に挙兵させ、大義名分を手に入れるという狙いもあった。
 果たして、旧幕府は薩摩の挑発に乗った。
 江戸の旧幕閣は、江戸在府の諸藩に薩摩藩邸の焼き討ちを命じた。
 命令を受けたのは庄内藩、越前鯖江藩。
 そして、上山藩である。
 戦闘は払暁に始まり、亥の刻まで続いた。
 その時の上山藩の様子を伝える『藤井御伝記』に云う。
  「……大小の砲声百雷ただならず。邸内火起こり
   火勢甚だ盛んにして烟焔天を焦がすが如く、
   弾丸雨降し、或いは狙撃し、或いは格闘し、三藩力戦、周囲挟撃しければ、
   浪士等事の倉卒に発り、防戦の術なく、進退これ窮まりて
   我が手の方へ潰走し来りければ、
   藩兵力を合わせ、逃ぐるを逐ふて尾撃せり…」


 この戦いで、上山藩の藩政の中心人物であった金子与三郎清邦が戦死する。享年四十五才である。金子与三郎は藩政改革を断行し、諸藩の名士とも交わった逸材である(長州の桂小五郎のちの木戸孝允もその一人)。
 また、余談ながら、あの新撰組の生みの親である出羽出身の志士・清河八郎とも親交が深く、清河が幕府の刺客に暗殺されたのは、彼が金子を訪問した帰り道においてであった。
 つまりは、金子与三郎という人物は、当時、かなり名の通った知識人であり、政権周辺の幕臣や薩摩長州などの西南諸藩に生まれていたならば、なんらかの形で名を残したであろう人物であったと思われる
 詳しくは『上山市史』上山図書館所蔵『幕末の名士金子与三郎』参照のこと]。上山藩は有為な人材を失った。


 激戦の末、三藩は勝利を収める。
 しかし、上山藩兵を初めとした薩摩藩邸襲撃の一団の放った銃弾の一発一発が、確実に歴史の歯車を動かしてしまうことになる。
 この一件を知った大坂城の旧幕府軍は大混乱となった。
 会津・桑名を中心とする主戦派は声高に叫んだ。「薩長を討伐し、速やかに君側の奸を除くべし」と。
 年が明け慶應四年正月二日、旧幕府軍の主力は「討薩の表」を掲げて北上、一路京都へと向かった。もはや戦いは避けられなかった。
 全ては薩長のシナリオ通りに進んでいた。旧幕府軍と薩長が武力衝突に及んだのが翌三日、戦線に「錦の御旗」が翻り、旧幕府を「賊軍」、自らを「官軍」と称することに成功したのが四日、徳川慶喜が大坂城を密かに脱出し、江戸へ遁走するのが六日、そして、江戸城の無血開城に成功するのが四月の十一日である。


 その後、上山藩は、薩長新政府に対抗して結成された奥羽越列藩同盟に参加することになる。同盟は、薩長新政府による会津・庄内「追討」の非を訴え、新政府に成り代わり、自らが主体となり「真の王政復古」を為し遂げるという旗の下、数多くの問題・異分子を孕みながらも、東北・越後諸藩の大連合へと発展していった。
 同盟軍は東北・越後の各地で新政府軍と激戦を展開、上山藩も越後口・秋田口などに出兵していった。



   東北は、日本の「歴史劇」の中では「脇役」であり続けた。そして、時には舞台にさえ登場せぬ「裏方」であった。それは上山にも当てはまることである。
 観客は「裏方」の苦労など微塵も考えず、繰り広げられる作品のスト-リ-を追うだけだ。そして、月日がたてば、脇役」の顔を忘れ名前を忘れ、記憶の断片に残るのは「主役」の演じたクライマックスシ-ンや名台詞のみとなる。そして、終には、そんな舞台があったことすら忘れてしまうのだが……。
 しかし、いずれにせよ「裏方」や「脇役」のいない舞台があるだろうか。それで舞台が成り立つのか。否、それ以前として、「主役」「脇役」「裏方」の別など一体誰が決めるというのだ。我々自身ではないのか。我々は、過去に出来上がった舞台をそのまま受け入れるのではなく、それを「劇中劇」として再構成していくべきではないのか。


 今、台本の中の「上山」という名前が消されようとしている。縦令どのような役回りにせよ、必ず台本の中に書き込まれていたはずの、そして今もいるはずの「上山」という名前を永遠に消されてしまう。今現在「上山」を演じ、創りあげている我々に何の断りもないままにである。


 市町村など、所詮は人間の生み出した行政区画にすぎないという意見もあるだろう。確かに金科玉条の如きものではない。だが、無味乾燥な区画と切って捨てるには忍びない愛着が既に出来上がっているのも、また事実である。
 どうしても「上山」を抹殺したいならば、市民の愛着を否定出来るだけの材料を提示すべきだ。今まで散々「歴史」と「伝統」をダシに独自性をアピ-ルして観光客集めを目論んだ、その二枚舌を謝罪すべきだ。
 そして、現実問題として行政サ-ビスの低下に納得出来る答えを出すべきだ。俺はまだ、そんなものを聞いた覚えはない。


 ヨ-ロッパ・ネ-デルラント地方では、「合併」ではなく、自治体の「目的連合(租税連合)」という形をとって、地域の独自性・独立性を重視している。
 都市の行政機能の整備を為し遂げるためには、「合併」という安直な形態発想しか出来ない人間には分からないのであろう。




    中国の有名な故事にある。
       「鶏口と為るとも牛後と為る無かれ」
                    [『史記』「蘇秦伝」より]
参考終わり

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Posted by はぬる at 01:09Comments(0)山形・上山