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2013年07月08日

水滸伝の前史

ある方から、水滸伝に関して非常に有用な情報をいただいた。

なんと、水滸伝の最終成立以前の明代に描かれた、明代の演劇「水滸伝」が出版されるというのだ。
どのような内容になるかはわからないけれど、大宋宣和遺事とか水滸戯とかで語られた豪傑たちの話が読める可能性が高い。
その中には、水滸伝本伝から抜け落ちた話もある。そんな話をまとめて出版するのだろう。
楽しみである。キリッとした李逵とか、だらしない燕青なんかが、なんであんな人物像に変わったかもわかるかも知れない。そこには中国の人々の想いがはっきり現れてくる。


どうやら、この人が翻訳するらしい。
『月刊水滸伝 Webマガジン 2013年5月1日 中国大衆文化のスペシャリスト・岡崎由美教授が「水滸伝」の魅力を分析』
http://suikoden108.com/webmag/6/

ぜひ、駒田信二氏のような名訳を望みたい。

叢雲乃飜さん、貴重な情報をありがとうございます。
m(_ _)m




ところで…
この「月刊水滸伝」というサイト。
オレはあんまり評価していない。
あまりにも水滸伝の初歩者におもねり過ぎている感じがして、逆にしっかり抑えてほしいところがなおざりになっている。
確かに、間口を広げるという点で大きな役割を果たしているのは認めるが(その意味では北方『水滸伝』も同様に間口を広げただろう)、結局そこから広がらない。むしろ、日本人に合わせた水滸伝しか見えないようになっている。

たとえばBooksのページを見ても、完訳の紹介は吉川幸次郎・清水茂両氏によるものしかない。水滸伝を知らせるのであれば、吉川幸次郎氏・清水茂氏のものに合わせて、駒田信二氏の120回本の紹介もあってしかるべきなのにそれがない。
日本人の小説『水滸伝』が大半を占める。

また、上記で紹介したページに
>「三国志演義」「西遊記」とともに中国3大名著のひとつ
などと書いてあるが、「中国3大名著」というくくりはない。
四大奇書なら「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」、四大名著なら「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」なのだ。なぜ「金瓶梅」「紅楼夢」をわざわざはずす必要があるのか。(「金瓶梅」はトリビアの中で紹介しているのにもかかわらず!!)
水滸伝を広めたいのであれば、「三国志(三国志演義ではない)」にだけ異常に人気が集まり、「西遊記」「水滸伝」はタイトルだけ、「金瓶梅」「紅楼夢」は名前すら知られていないという日本の状況を問題視すべきだ。

まぁ、「何を細かいことをぶつぶつと…」と思うかもしれない。
けれど、水滸伝を広めたいのなら、岩波少年文庫の『水滸伝』(松枝茂夫訳)のような仕事をこそ、ほめるべきではないだろうか。

それができていないので、オレはあんまり評価していないのだ。
  


Posted by はぬる at 21:34Comments(0)雑感・いろいろ

2013年07月07日

理想と現実

今の日本社会では「理想ばっかりでもっと現実を見ろ」といったことがよく聞かれる。

確かに現実を見ないのは、ダメだろう。
理想は飯を食わせてくれないのは確かなことだ。

だが、むやみに現実にのみ目をむけ理想を見ないのもどうかと思う。
現実の延長に理想を抱かないと、どんどん現実が後退していく。
理想のない現実主義は事態を悪くしていくだけだ。

厳しい現実の中で理想に向かうとき、というのは本当につらい。
だからそんなときは愚痴を言ってもいい。
思考停止しないためには愚痴でも何でも、今の想いを話しあう場が必要だ。

一番悪いのは、現実のみに目を向けて、理想を語ってもしょうがないだろうと理想を語ることを諦め、今ある『現実』のみを受け入れてそれ以上考えなくなることだ。

その点、今の日本社会はどうだろう。

理想を現実にあわせるのでなく、現実を理想にあわせていく努力が必要なんじゃないのだろうか。
それがどんなに高い理想であったとしても、周りから『理想ばっかりで、地に足が着いていない』なんて揶揄されても、だ。  


Posted by はぬる at 19:48Comments(0)雑感・いろいろ

2013年06月30日

『茶色の朝』

茶色の朝が示す状況は、ただのお話でなく今の日本社会を捉えている。

高橋哲哉氏は解説で「思考停止」に対して非常に強く批判していた。
そのことには大いに賛同する。

だが…
今の日本社会全体がゆとりがなく、何か見えないものに立ち止まって考える余裕もない中で、どのように互いの考えを分け合い、実行に移していったらいいのだろう。

イノシシが興奮して、がけに向かって突っ走っているような状況に今の日本社会はあるような気がする。そしてそのイノシシにいくら立ち止まるような方策を立てても、立ち止まらせることができないのと、にている気がする。
  

Posted by はぬる at 16:39Comments(0)雑感・いろいろ

2013年06月24日

勝つことに価値を置かない生き方

日本社会ではあんまり理解を得られないかもしれないけれど、そういう生き方があってもいいと思う。
あまりにも競争が激しすぎる社会はすべてがこわばってしまう。
「頑張る」は「頑なに張る」だ。頑なに張り続けたらいつかは破れてしまう。
また、他を寄せ付けなくなってしまう。
それはあまりにも狭い生き方じゃないかと思う。
もっと柔軟に、もっと緩やかに、もっとのんきにやれたらいいよね。  

Posted by はぬる at 20:59Comments(0)雑感・いろいろ

2013年06月21日

日常と非日常のハザマ

今日は日常と非日常のハザマに行ってきた。

…という表現では伝わらないかもしれないけれど、要するに演劇を見てきたのだ。

オレは演劇について、以下のように考えている。素人の考え・一観客の考えなので間違っているかもしれないが。

1 演劇は日常空間の中にある、非日常空間である。
2 テレビドラマや映画、小説、マンガも同様に非日常空間である。
3 基本的に日常は観客席に、非日常は舞台の上・スクリーンの中・テレビ画面の中・文章の間・コマの中に存在する。
4 これらと演劇が決定的に違う点…日常と非日常の境界線がとてもあいまいであること。
5 舞台が必ずしも非日常ではなく、観客席が必ずしも日常ではない。
6 やり方によっては観客席が非日常になり、舞台が日常になる可能性もある。
7 日常と非日常が交じり合う空間がまさに演劇であり、それは他の非日常を演出する創作活動にはないものである。

…やっぱり演劇って不思議で面白い。
まぁ、いろんなスタイルがある。
日常・非日常の枠が厳格に定められているような伝統的な舞台やら、金がやたらかかっているような、また有名な芸能人で話題を集めているようなものは、オレはあんまり好かない。登場人物がやたら多いものも好かない。
たぶん上記のオレの演劇観にはそぐわないからだと思う。

それよりは、(演劇のジャンル分けってよくわからないけど)小劇場演劇が好きだ。
参考:ウィキペデア「小劇場」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%8A%87%E5%A0%B4%E6%BC%94%E5%8A%87

こういう劇団のほうが上記のオレの演劇観に近い演出をしたり脚本を書いたりするようだ。鴻上尚治氏や成井豊氏の脚本は何度読んだか知れない。また、今はもうない仙台の未来樹シアターも、不思議できれいで面白かった。(もう一度『みどりの想い』を見たい。20年近く前に1度見ただけなのに忘れられない)

ただ…

演劇が終わり、書店に行った。しかし、演劇に関する本は一冊もなかった。市内で結構おおきめの書店であるにもかかわらず。
これは本当に残念だった。書店に本がないというのは、情報源がないということだ。
同じ演劇を見ていたらしい高校生も、同じ書店で演劇に関する本を探していたが見つからなかったようだ。
理論書どころか、脚本一冊置いていない。
今日だけでなく、山形県内の大きな本屋は結構回ってみているのだが、非常に限られた数しか置いていない。
オレが高校生だったころはそれでも置いていた。
東京の紀伊国屋書店ほどではなくとも、選択に困るくらいのある程度の数はあったと記憶している。
しかし、いまや山形の高校生が演劇に関心を向けるための情報源は、完全に絶たれているといってよい。
資本の論理にたてば、売れないものが置いていないのは当然のこと、仕方のないことだ。
けれど、この現象を文化水準の問題と見たとき、当然で仕方のないことと割り切れない。
この選択肢のなさは、結局山形の文化水準が非常に低下していることの表れだろう。

このことに関連して、山形は非常にスポーツに力を入れている県である。
たとえばドリームキッズプロジェクト(http://www.y-dreamkids.jp/)なるものがある。これは世界レベルでのスポーツ大会で活躍できる人材を育成しようというものだ。
また、モンテディオ山形のホームグラウンドを山形駅付近に作ろうという動きもある。
(天童にも大きなスポーツ施設があり、落合にも、その他いろんな場所にいろんなスポーツ施設があるではないか。これ以上どこに必要だというのだ。)
学校の部活動では運動部が主であり、文化部は言い訳程度に存在している場合も多い。もし部活動を減らすとなると、文化部が真っ先に削られる。「男子中学生で運動部に入っていないやつはダメだ」と言い放った中学校の先生もいるほどだ。
子どもたちは、運動部に大きな時間を割かれ、他の文化活動に興味・関心を向ける暇もない。自身の学校の演劇や吹奏楽の公演を見たことのあるものはいったいどの程度になるのだろうか。
ましてや、山形ドキュメンタリー国際映画祭に足を向けようという中・高・大学生はどの程度になるだろうか。

県がスポーツに力を入れる理由は何点か推測できる。
1 結果が早く、わかりやすいこと。投資した分の成果がはっきり出てくる。
2 本質を追求しなくてよい活動であること。スポーツはそれにさえ打ち込めば、ほかの事に目を向けなくてもすんでしまう。野球の強かったある高校では奴隷制度のようなものまであったと聞いているが、野球が上手という一点で許されてしまう。だから、スポーツに力を入れるというのは、ほかの事から目をそらすという効果を得られる。

1についていえば、例えばドリームキッズの取り組みが成功(?)して、オリンピックでメダルを取った選手が山形から出たとしよう。
はっきり言えば「だから何?」である。
松井選手を生んだ石川県が彼の活躍後、変わったことがあっただろうか。加藤条治がメダルを取っているが、世界の多くの人には加藤条治と山形は結びついていない。

ドリームキッズのホームページには
………………………………
 日本のスポーツ界を牽引し、世界レベルの大会で活躍出来る選手を目指すという子どもたちの夢の実現に向け、リーダーとしての資質を高め、かつ、スポーツ分野のみならず、将来の山形県における牽引役となり、やまがたの発展に資するスポーツ選手を育成する。
また、故郷を大切に思う精神や目標に向かって、力強く進もうとする自立心旺盛な子どもを育成し、夢や希望を持てる新しい“やまがた”を目指す。
………………………………
とある。
スポーツに打ち込むあまり、ほかの事に目を向ける余裕もない子どもたちが、どのようにして「リーダーとしての資質を高め」るのだろうか。”山形”について哲学することがない・時間がない子どもたちが本当に「故郷を大切に思う精神」を養うことができるのか、疑問である。
また、そもそもスポーツの大きな舞台に立つことは「夢」や「希望」なのか。「目標」ではあるだろうが、「夢」や「希望」に対しての大人の側からの哲学がない。そのくせ、あまりにも安易に「夢」や「希望」を子どもたちに押し付けすぎていないだろうか。

2について言えば、1にかかわることであるが、言い換えればスポーツは哲学をせずにすんでしまう、ということである。しかし文化活動は違う。多くのものに興味・関心を持たなければいい創作はできない。そして多くのものに興味・関心を持つことは、世の中の本質に迫る活動につながる。

山形県のみならず、日本全体が非常にスポーツに大きな比重を置いていると感じる。
このような雰囲気で、あるスポーツにおいて「日本(山形、身内)」が勝った・負けただけにこだわっている・すがっているような状況下での「発展」は砂上の楼閣、蜃気楼の中の発展としか思えない。

文化水準の低下がスポーツ活動から哲学を奪っていったのか、スポーツ活動が盛んになって、文化活動に割く時間が減り、結果文化水準が下がったのか…いずれにしても望ましい状態とは言いがたい。

(追記する可能性あり)  


Posted by はぬる at 23:13Comments(0)雑感・いろいろ

2013年06月19日

三国志演義

光栄の封神演義を読んだ。
安能務の『封神演義』はやはり別物だった。
最後の最後まで…どうしようもなかった。
で、オレとしては光栄のほうがよかった。
もう、こういう風潮は見て見ぬ振りしたほうが、精神衛生上いいのかな…

今は三国志演義を読んでいる。
井波律子氏の訳で読むのは2回目になる。

第6回 焚金闕董卓行兇  匿玉璽孫堅背約

まで読み進め、今日は孫堅が玉璽を拾った。

個人の描写は水滸伝のほうが多いような気がする。
でも、1回目に読んだときには気づかなかったけど、
曹操・孫氏・劉備が物語の核になる人々であることがわかるように、
他の登場人物とは明確に扱いが違う。
今は董卓・呂布が彼らの敵役になっているが…
これから諸葛亮をどう描写していくか、なども見所になっていくのだろう。
楽しみである。  


Posted by はぬる at 22:26Comments(0)雑感・いろいろ

2013年04月28日

スポーツにかつということ

自己満足以外に積極的な価値があるなら教えていただきたい。  


Posted by はぬる at 15:42Comments(0)雑感・いろいろ

2013年04月03日

縁は異なもの

世界のどこかでまた会えた日。

最後に会ってから、まだ一週間もたっていないのに
とっても懐かしい人々。

会えてよかった。



今日はすごくうれしかった。  
タグ :日記


Posted by はぬる at 22:00Comments(0)雑感・いろいろ

2013年03月22日

引っ越し

…めんどくさい。
こんな時、『ドラえもん』の道具のうちひとつ使えるとしたら、どんなものがいいかな。(まんがのみ)
思いつく引っ越しに便利な道具。
1 厚みぬきとりバリ(だっけか)
2 1と似た、アイロンのようなもの
3 スモールライト
4 どこでもドア
5 4次元ポケット

1かなぁ…3でもいいけど
4は距離は縮まるけれど重さはそのままだからやっぱり面倒だ。

5番目はなんだか反則かもしれない。

あまりにめんどくさすぎてこんな現実逃避。  


Posted by はぬる at 16:16Comments(0)雑感・いろいろ

2013年02月04日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 7

4.日本社会の異文化受容に関する問題
以上、北方氏による『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する問題意識を3点に分けて整理した。だが、一番の問題は前述の3点に根本的に横たわっている、「自身が受け取りたいものしか認めない」ということではないだろうか。
インドのカレーを食べたある日本人が、「こんなのカレーじゃない。日本のカレーが一番おいしい」と言い放った、という話を聞いたことは無いだろうか。またはキムチの国際表記を韓国がKIMCHIと主張したのに対し日本側がKIMUCHIにするべきだ(そうでないと日本人は発音できないから)として論争が起こったという話を聞いたことは無いだろうか。キムチに関しては、韓国側がキムチは「発酵」してあるものであり、日本のキムチは浅漬けの漬物だから違う物だと主張していたが、日本側はどちらも同じ『キムチ』と考えたため起こった論争だった。
両事例とも根底には、日本に異文化が流入して日本に同化した末、日本に同化したものがオリジナルとされて、本来のものを認めないという流れがある。これと同じことが水滸伝にも起こっているのだ。
そしてこのような流れが起きるとき、本場がどこかに限らず、無意識の中で文化が優越しているとしているほうが優先的にオリジナルとなり、劣っているとみなされる方は排除される。つまりカレーやキムチの場合、インド及び韓国と日本の文化間の争いであるが、受容する日本人の多くは日本文化のほうがインドや韓国の文化より優れているという無意識下での認識があるために、本場のカレーやキムチが排除される傾向にある。ヨーロッパの文物に対してカレーやキムチのようなことが起こらないのはこのためである。
(フランス料理やイタリア料理に対して上記のような例はあまり聞かない。むしろ昔はすべてスパゲッティですんでいた食べ物が、パスタだの何だのとより現地にあわせた呼び方になっているのは逆の現象が起こっているためだ。)
水滸伝の場合も同様である。日本人である北方氏が作った『水滸伝』と中国民衆が作り出した水滸伝を比べた場合、日本文化と中国文化の争いになるわけだが、北方氏の『水滸伝』で留まって「原典を読んだことがない」という声が多いのも、どこかで日本文化>中国文化という価値判断がはたらいているからではないか。そして、それは「自身が受け止めたい」水滸伝像でしかないのにもかかわらず、原典が駆逐されるという現状につながっている。
さらに、水滸伝に関して「自身が受け取りたいものしか認めない」という心理を許すもう一つの要因は、水滸伝が日本ではマイナーだ、ということにある。
『三国志』(ただし三国志演義ではないことに注意!!)のようにメジャーであれば、このような大規模改変自体許さないであろう。例えば「豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて」解体改変を加えた結果、魏・呉・蜀の大連合が司馬氏と戦うなどという筋書きの小説になった場合を考えてほしい(それに近い『龍狼伝』という漫画はあるが『三国志』とか三国志演義というタイトルでは無い)。その小説をそのまま『三国志』もしくは『三国志演義』というタイトルで売り出し、しかもそれが「○○版『三国志』が然るべきのちに、中国版『三国志』に代わって定本になる」などのうたい文句で宣伝されていたら、どうだろうか。日本中にいる多くの『三国志』ファンは、三国志として許容できるであろうか。
三国志演義にはしないような改変を平気で水滸伝に行い(ただし山田氏によると呂布の性格は変えたらしい)、それを水滸伝として評価することができるのは、単純に日本では水滸伝が『三国志』ほどメジャーではない=受ける批判もそう多くないからだろう。似たような現象はテレビドラマ『西遊記』にもみられる。沙悟浄は河童じゃないし、白馬にもきちんと意味と役割があるが、日本のドラマシリーズではわからない。ドラマでは猪悟能(猪八戒)の元の姿である天蓬元帥が中国社会ではどれだけの存在なのか(その天蓬元帥が猪悟能として取経しに行くことの意味もあわせて)、81という数字も全くわからないのにタイトルだけは『西遊記』というのは本当におかしな話なのだが、『西遊記』として通ってしまっている。西遊記も日本では内容があまり知られていないから平気でこのようなことが行われるのだ(ただし西遊記の場合、「あれは日本のテレビ局が作った『西遊記』だ。原典は別にある」という判断がしやすい)。
『水滸伝』の改変も『西遊記』の改変も、三国志の改変でたとえるなら、そもそも漢が滅びず魏も呉も蜀も誕生しなかったり、諸葛亮が蜀を簒奪し、関羽は曹操に捉えられたとき寝返ってそのまま魏の高将になるや、司馬を抑えて自身が三国を統一して皇帝になったりといった改変などよりもさらに破天荒なものなのだ。そのような改変を許してしまうばかりか、改変物を水滸伝として評価してしまうのは、結局のところ水滸伝(や中国文化)には興味がないから、もしくは水滸伝(や中国文化)を下にみているからなのだろう。
だから「自身が受け止めたい」水滸伝像でしかないのにもかかわらず、『水滸伝』を水滸伝として評価できてしまうのである。
そしてこのような傾向は、水滸伝と『水滸伝』に限らず、日本社会のいたるところで、沖縄を含むアジアの諸文化に対して見られる。


5.終わりに
以上、問題を整理してみた。北方氏『水滸伝』が無批判に水滸伝として受け入れられているのは、日本において水滸伝がそんなに有名ではないこと、中国の文学であることに甘えているからではないか。
つまり、三国志のように有名になりすぎている場合(しかも日本の『三国志』の場合、吉川英治の小説版が大きすぎる)は、『水滸伝』のような改変をしたら受ける批判が多くなるし、欧米の文学に対しては『水滸伝』のような改変をする発想すらないだろう。
結局、中国の文化を日本の文化より下にみる部分がどこかにあるから、『水滸伝』を水滸伝として無批判に受け入れることができるのだ。それは山田氏のような『水滸伝』を水滸伝として推す文章のいたるところで垣間見える。
このことが一番問題なのではないだろうか。
  


Posted by はぬる at 21:34Comments(0)雑感・いろいろ

2013年01月28日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 6

山田氏の文章中の一~三の問題点と北方氏が見出した解決点についても、意見はあるもののここでは述べない。しかし山田氏も魯智深をただの「酒乱の乱暴者」としか捉えられていないようだ。「稚気あふれる」とも言及しているが、水滸伝世界(というか、陽明学。水滸伝の成立に多大な影響を及ぼしたのは李卓吾という人物で、彼は陽明学左派の思想家。「童心説」を唱えた。また中国社会もこの考え方の影響を受けている)において、この「稚気あふれる」というのがいかに大切なことか。山田氏も原典の水滸伝をきちんと読んでいるとは言い難いようだ。

山田氏は結びで次のように〆ている。

  この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。

これは傲慢以外のなにものでもない。
例えば次のようなことを想像していただきたい。
日本で民衆によって大切に育て上げられてきた物語…なんでも良いがここでは例として桃太郎をあげる。これに目を付けた中国人の人気作家蕭譲(仮名)が「豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて」解体改変を加えたとする。それは、こうなる。

  ある日、国境の村の近くの桃の木の下に、首筋に大きなあざのある男の子が打ち捨てられていた。子のない中年夫婦がこの子を拾い、名前は桃の木の下から拾ってきたことから桃太郎と名付けた。二人はこの子を育てて、鬼退治をさせようとしたため、厳しい修行を幼い時から積ませた。十数年後、子は立派に育ち、念願の鬼退治に出かけることになった。桃太郎は屈強な男を100人余り従えて、鬼がいるという地目指して出発をした。
国境を超えしばらく行くと、犬を崇拝する部族がすむ村にたどりついた。桃太郎の村では単に鬼と呼ばれて恐れられていたが、鬼とは「エミシ」のことであるという。犬信仰部族はエミシとの間に、新羅・渤海貿易をめぐって対立があったために桃太郎と利害が一致してエミシ討伐に参加することとなった。
また兵を進めていくと猿を崇拝する部族がすむ村についた。彼らはエミシとヤマトの間で商売をする部族でありエミシ・ヤマト間の戦争を踏み台に有利な立場に立とうという目論見から猿信仰部族も桃太郎についた。桃太郎はこのとき、自分が育った村がヤマトの重要な一地方であることを知り、自身がヤマトの征夷の先鋒であることに誇りを感じた。
さらに兵を進めると雉を信仰する部族の村に出くわした。彼ら自身は、エミシの一員であった。桃太郎はさっそく戦闘の準備を始め、雉信仰部族の村々を略奪していった。ところが雉信仰部族の中に、桃太郎の出生を知るものがいた。それは桃太郎の首筋のあざからわかったことだった。
桃太郎が育った村は、もともとエミシの村だった。ある日、ヤマトの軍勢が押し寄せて村を散々に打ち壊し、略奪して奪い取ってしまった。丁度それは、桃太郎が雉部族との戦いでやったようなことだった。桃太郎は逃げ惑う村人のある夫婦の子どもであった。母はこのとき、桃の木の下でヤマトの兵に殺され、父はエミシのクニの奥のほうに逃げて行方不明だという。そしてこの村を襲ったヤマトの大将が、桃太郎を育てた中年夫婦だった。
桃太郎を見知った人は、桃太郎の母が殺されるとき、近くにいたが運よくヤマトに見つからず逃げのびた。のち、危険を冒して桃太郎の村の近くの桃の木のそばに小さな墓を建てた。桃太郎ははじめその話を信じなかったが、彼の言うことがいちいち桃太郎の記憶と符合し、また、桃の木の下で見つけた、育ての夫婦には内緒にしてもっておいた物とこの人物が持っていた物が符合したことで、桃太郎もエミシの…鬼の一員であることが、はっきりした。
悩みの中で、雉信仰部族の長の勧めと案内で、桃太郎、犬部族の長、猿部族の長はエミシ全体を束ねる長のところに行くことになる。
エミシの長はヤマトの人間はヤマト以外の人間をエミシと呼び、桃太郎もその出生が知られればエミシと蔑視を受けるだろうこと、犬部族にしても猿部族にしてもヤマトからみればエミシにほかならず、エミシがまとまらなければいつかはヤマトに滅ぼされるだろうことを説いた。
桃太郎は悩みの末にエミシとして生きることを選び、ヤマトと戦うことで父を探そうと決意し、犬、猿両部族も桃太郎とともに、戦うことを選んだ。桃太郎は雉部族の村に戻り雉部族との和解をし、故郷から連れてきた100余人で、エミシに降伏しないものを殺して未練を断ち切ったのち、自分の故郷に兵を向けるのだった。

この内容の小説が中国で人気がでて、出版社から紹介文が出たとする。
そしてその紹介文に「日本版『桃太郎』にかわり、蕭譲版『桃太郎』が桃太郎として地位を確固のものにするだろう」なんて書いてあったらどうだろう。
今の日本社会の雰囲気からして、「中国、今度は桃太郎をパクる」なんて反応が出るだろうことは想像に難くない。

(続く)
  


Posted by はぬる at 20:24Comments(0)雑感・いろいろ

2013年01月23日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 4

3.北方『水滸伝』を水滸伝と受け取る読者層の問題
検索エンジンで「水滸伝 書評」で検索すると、北方氏の『水滸伝』について書いたブログが圧倒的に多い。そしてその中のいくつかを除くと、「水滸伝は面白い」「原典とはだいぶ違う」「原典は読んでない」といった言葉が並ぶ。小説としては非常に面白い作品であるのは確かなようだ。前述したがここでオレは小説としての『水滸伝』を批判しているわけではない。ただ、原典を解体再構築して、キャラクターの造形まで変えているのに水滸伝というタイトルやキャラクターを使っていることに対して批判を加えている。
そして、受け手側はそのことにどれだけ批判的だろうか。
北方氏は楽天ブックスの著者インタビューで「キューバ革命」を描きたかったと言っている。(http://books.rakuten.co.jp/event/book/interview/kitakata_k/)
であれば、キューバ革命そのものでやればいいのであって、水滸伝を利用する必要はない。こう言った批判は受け手の側からは全く聞こえない。
無邪気に北方氏の『水滸伝』を水滸伝として紹介する書評を読んでいると、本当に水滸伝が好きなのだろうかと、疑問すら湧いてくる。
例えば、SONY READER STORのサイト(http://ebookstore.sony.jp/stc/special/news/suikoden/)には108人のうちの一人、花和尚魯智深に対して次のようなことが書いてある。

  たとえば、人気登場人物のひとり、花和尚魯智深は中国版では酒乱の乱暴者だが、北方版では、少年の時からのつきあいの総帥宋江の語る世直しの檄(げき)を筆写した冊子「替天行道」を持って全国を行脚する、全能の伝道師、という役どころに改変された。

ここでは原典において酒乱の乱暴者にすぎない魯智深を北方氏は重要な役どころに改変したという風に読める。しかしオレには、この紹介文を書いた者が本当に原典を読んで理解した上で、北方氏の改変を評価しているのか相当に疑わしい。
原典の魯智深はただ「酒乱の乱暴者」なわけではない。彼は弱きを扶け強きを挫き、酒がめっぽう好きで豪傑である、という梁山泊の理想を典型的に具現化したような性格で、最後は梁山泊軍にとって大きな役割を果たす。そして最終的には悟りをひらくという役どころなのであり、当時の中国人の宗教観まで内包した重要な人物なのである。
だからこそ、徹底的に梁山泊を否定し、梁山泊の豪傑108人が全滅するまでを描いた、前述の兪萬春による「結水滸伝(蕩寇志)」でも、魯智深は敵に殺されるのではなく少し特別な死に方をする。
原典の魯智深がただの「酒乱の乱暴者」としてしか捉えられない者が、北方氏の『水滸伝』の紹介文を書くことが不思議でならない。
(続く)
  


Posted by はぬる at 20:17Comments(0)雑感・いろいろ

2013年01月20日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 3

2.北方氏の持つ矛盾性
北方氏は「演義という形で書かれた『水滸伝』を、現代日本語に訳することに、私は何の意味も見出せなかった。」という。中国文学者でもない一介の小説家である北方氏に原典の日本語訳など期待しはしない。また、日本語訳になっている原典をもとに、北方氏の解釈の小説水滸伝を書くことに何ら問題はない。しかし、水滸伝のタイトルを冠しキャラクターも使うのなら、逸脱してはならない部分は確実にある。あるいは原典を解体して新たに構築するなら、水滸伝のタイトルを冠したり、キャラクターを使ったりするのは避けるべきだった。「『水滸伝』を、現代日本語に訳すること」に意味を見いだせないのならなおさらだ。
「自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。」というが、原典を逸脱して水滸伝を壊すことが「作家という創造者の矜持」なのか。原典の枠組みの中で、意味の見いだせない水滸伝の日本語訳に意味を持たせるのがプロの作家の仕事であり、それこそが「作家という創造者の矜持」ではないのか。あるいは原典を大きく逸脱した自分の水滸伝を世に出そうとするなら、水滸伝のタイトルを冠せず、水滸伝のキャラクターも使わないで勝負するのが「作家という創造者の矜持」ではないのか。
つまるところ、「自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。」等とかっこいいことを言ってはいるが、自身の『水滸伝』を出す際、現代日本語訳にすることに意味を見いだせない水滸伝に頼っているのである。
蛇足ではあるがオレは趣味でマンガを描いている。20年ほど前、水滸伝、ハイスクール奇面組、ドラクエ3及び4にはまっていたオレは自分の『水滸伝』を描き上げた。今は1300ページ分の分量になる第3稿目が終わり、第4稿目を描いている。人に見せるものではないので好き勝手に描いているのだが、タイトルは「夏天故事」とし、108人いる主人公たちも水滸伝のキャラクターをそのまま使ってはいない。モデルにした登場人物は多いが、名前まで一致させることはなかった。水滸伝というタイトルで、キャラクターの名前まで一致させるという発想がなかったからだ。しかし水滸伝好きが読めばにやりとする部分が結構ある。
北方氏の「私の中で『水滸伝』は変質し、別の創造物としての再生の時を待っていたのだ」という気持ちはよくわかる。オレが「夏天故事」を描き始めたのも、今思えば同じ気持ちだったからだ。だが、オレの中で水滸伝が「変質」し、「別の創造物」になった「夏天故事」は、どこまでいっても「夏天故事」であって水滸伝ではないことを知っていたため『水滸伝』のタイトルもキャラクターも別のものとしたのである。
(続く)
  


Posted by はぬる at 19:04Comments(0)雑感・いろいろ

2013年01月15日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 2

ここで、オレが感じている問題意識を整理してみる。

1.水滸伝の捉え方に関する問題
水滸伝は中国の名もない民衆が織り上げていった物語で、個々のいろいろな物語をつなぎ合わせたものだと言われている。そしてそれを施耐庵なり羅貫中が編集したものであることがわかっている。
つまり水滸伝は中国の民衆が、その時々のいろいろな想いを託した物語なのだ。中国民衆の想いを、施耐庵(あるいは羅貫中)が文章として素晴らしい物に仕上げたものと捉える事が出来る。
ところが、清の時代になって108人が梁山泊に集合する72回以降を、金聖歎という人物がバッサリ切って捨てるということをやらかす。水滸伝は大別して、成立順に100回本、120回本(駒田信二氏の訳はこれになる)、70回本とあるが、この70回本が金聖歎の手によるものである。
72回以降梁山泊の面々は招安を受け(盗賊が罪を許され朝廷に帰順すること)、宋朝のために遼国と戦争をしたり、地方の盗賊を討伐する、という内容になるが、彼にとってこの内容は大いに不満だったようである。金聖歎はどちらかというとインテリの部類に入る人物で、盗賊はどこまでいっても盗賊だろうという思いがあったようである。清の兪萬春という人物は、金聖歎のこの批判をさらに推し進めて結水滸伝(蕩寇志)を書いた。その序文には次のようにある。

(引用はじめ)

   この一冊の本は「蕩寇志」とも言う。看官、なぜこの本が作られたのか。施耐庵先生の「水滸伝」はなぜか宋江を忠義とはしなかった。皆さんはただ彼の筆意、宋江の奸悪さを描写しないものがないことを見ることができる。それは彼をして忠義者といい、まさに口では忠義をなすが、心の中は強盗であって、ますます奸悪さを形づくるのである。聖嘆(金聖嘆)先生の批判は明白である。忠はどこにあるのか、義は全体どこにあるのか、さらに言えば、忠義であるなら、強盗などしないし、強盗であれば忠義を考えることもない。そこで羅貫中と言うものは「後水滸(120回本の72回以降を指す)」の一部を持ち出し、驚いたことに、宋江こそ真の忠で真の義のものであるという。このことによって、後の世の人は強盗をはたらき、宋江のように、心の中は強盗、口では忠義を言う。殺人を犯しては忠義、家屋を打ち壊しては忠義、官をうち捕をこばみ、城を攻め村を陥れるものすら忠義と叫ぶものを見ずにはいられない。このようなことをなんと言うか。これこそまさに、邪を言い淫を述べ 、悪人の考え をし、災いを無限に残す である。もしこのような本を世に留めおくなら、何の役に立つのか。暇つぶしに読むようなものだから気にする必要はないなどと言うなかれ 、心得なければならないのは暇つぶしに読むようなものであればあるほど、その伝わり方は早く、茶店居酒屋、明かりの前や月の下で、人々は喜んで話すし、よく聞くのである。既に世の中に出版されているこのような本をいまさら禁止はできない。宋江は別に招安を受けて方臘を平らげたわけではなく 、ただ張叔夜によって捕らえられるだけの話である。彼がよく嘘を言い、本当のことを隠そうとするならば、私もまた事実を明らかにし、彼の嘘を破り、天下の後世に盗賊と忠義の区別をはっきりさせ、ごっちゃにすることは少しも許さない 。まして夢の中で魂に言いつけられたからには、灯の下であっても筆が乾くことはさらに難しい 。
  皆さん、この本は施耐庵の「前水滸伝」に続いており、「後水滸 」とは関わりがない。本意は既に明らかである。では正伝を見ていただこう。

(引用終わり)

このような考え方で金聖歎は72回以降を切ったわけだが、これはそれまで築いてきた中国民衆の想いを、インテリが上からの目線で切って捨ててしまった行為ともいえる。
だからオレは金聖歎を評価しない。確かに後半戦争が続くことになり、飽きる人間には72回以降を切って捨てたことは、スリム化につながってよかったかもしれない。けれどもスリム化することによって、民衆の想いを捨てることを評価していいものか。ごく何十年か前まで中国では70回本が主流だったようだが、金聖歎に対する批判は昔から根強いようだ。
さて、前置きが長くなったが北方氏の『水滸伝』である。
前述の引用で本人が言っているように北方氏の『水滸伝』は、北方氏の内部で変質した『水滸伝』を文章にしたものであって、水滸伝とは「別の創造物」である。つまり中国民衆の長い歴史の中で積み上げてきた様々な想いを、金聖歎が上の立場から変質させたように、あるいはそれ以上に北方氏は彼らの想いを無視して自分の『水滸伝』に変質させてしまった。金聖歎の擁護をすれば彼は明末清初に生きた人間で実際に盗賊に苦しめられた人物でもあり、そういう立場からはどうしても盗賊を忠義者の集団とすることはできなかったのである。そういう意味では、70回本も歴史の中に生きた中国民衆の想いの積み重ねと取ることができる。しかし北方氏は違う。自由にものが書ける社会において中国民衆の想いを解体してしまった。多くの人々の想いの積み重ねを、一個人の想いに塗り替えてしまったのである。そして日本では一個人のものでしかない『水滸伝』が水滸伝として受け入れられてしまっている。
(続く)
  


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2013年01月14日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文

0.はじめに

以前にも書いたがオレは三国志演義より水滸伝のほうが好きだ。
三国志演義は井波律子氏訳を読んだ。確かに魅力的であったが、日本の過剰な人気にはやはり疑問符がつく。(もっともオレは日本での『三国志』人気は吉川英治氏の小説によるものと考えているので、本当に日本で三国志演義に人気があるとは考えていない)
オレと水滸伝の付き合いはもう20年以上になる。宮下あきら氏のマンガ『魁!男塾』でその存在を知り、松枝茂夫氏の編訳(岩波少年文庫)から入り、駒田信二氏の訳(講談社文庫、最近平凡社版を手に入れた)を何度も読んでいる。中国に住んでいた時は原文を手に入れてきた(崑崙出版)外、結水滸伝(蕩寇志)も手に入れた。また鳥居久靖氏の水滸後伝(平凡社東洋文庫)ももちろん読破済みである。
それはさておき、最近北方謙三氏による『水滸伝』が大変人気を博しているようである。小説としてはかなり面白いのであろう。
しかしである。小説としての面白さと、水滸伝の持つ魅力はまた別物である。
北方氏は自身のホームページでこう語る。

 「演義という形で書かれた『水滸伝』を、現代日本語に訳することに、私は何の意味も見出せなかった。私の中で『水滸伝』は変質し、別の創造物としての再生の時を待っていたのだ、という気がする。私は、自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。」
(http://www.shueisha.co.jp/suiko-yourei/old/  北方謙三 水滸伝|楊令伝のサイト メッセージより)

数年前NHKが水滸伝(『水滸伝』?)の特集を組んだ。解説に北方謙三氏を迎えていた。途中から見たのでどちらを特集していたのかわからなかったが、今考えれば、どちらかというと北方氏の『水滸伝』の要素が多かった記憶がある。その時は、北方氏の『水滸伝』と水滸伝の相違など知らなかったが、なんだか自分の知っている水滸伝と食い違う部分があるな、とは感じていた。
それで、オレは北方氏の『水滸伝』を一度読んでみようと思った。水滸伝好きとしては当然である。けれど読めなかった。手には取ったが、引首(はしがき)はおろか、「遇洪而開」すらないのである。いきなり史進(あやふや。それだけショックが強かった)らしき人物がでていて面喰った。
「遇洪而開」は水滸伝を語る上で重要なキーワード…というかそれがなければ108人の存在はないはずであるが、序盤に見当たらない。これは水滸伝ではないと判断してそっと棚に戻した。
その後ウィキペディアであらすじを調べてびっくりした。20年近く慣れ親しんだ水滸伝とは全く別物だったからだ。
しかし、日本では北方氏の『水滸伝』が広く受け入れられ、原典を踏襲した翻訳や小説が駆逐されている状況がある。そういうわけで、北方氏の『水滸伝』に対して、水滸伝好きのオレとしては問題意識を持たざるを得なかった。
本考察は北方氏の『水滸伝』そのものを批判するものではない。オレは読んでいない(読めない!!)のでその資格はない。北方氏の水滸伝に対する姿勢や、北方氏『水滸伝』を水滸伝として評価する人たちに対する批判である。これは著者本人のコメントや愛読者層の書評を読むことで批判的に考察できる。したがって、北方『水滸伝』を水滸伝としてではなく小説として評価するものは(水滸伝としては切り捨てている愛読者もいる)批判の対象外になる。
(続く)
  


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2013年01月14日

暴力はどんな大義名分をつけても暴力

1月13日(日)のテレビ朝日『サンデースクランブル』に戸塚ヨットスクールの戸塚校長が体罰肯定の立場で出ていた。
(番組としては一応体罰に反対するスタンスで、戸塚校長は批判を受けていたが)
体罰を肯定する人に問いたい。
自分が誰かに殴られたとき、「これは教育です」「指導です」と言われたら納得するのか。
なぜ教師-生徒の間ではこれが成り立つのか。
合理的な説明ができるものならしてみてほしい。
何やかやと理由をつけても、体罰は人権を侵害する行為そのものであって、それ以外の何物でもないのだ。
しかし、今回の問題に基本的人権の尊重といった側面からの論調が少ないのは、いかにも情けないことである。ここでも日本社会の人権意識の低さを露呈している。

今回の体罰の問題には、もうひとつ、日本の『スポーツ至上主義』が大いに絡んでいるが、その指摘はあまり聞かない。
単純に考えてみてほしい。
プロ野球選手になりたくて一日中野球のことしか考えていない生徒と、マンガ家になりたくて一日中マンガやイラストを描いている生徒がいたとする。
野球少年に対しては、悪くてせいぜい『野球バカ』くらいの評価だろう。多くの場合は「夢に向かって頑張っているな」という良い評価がつくだろう。そうでなくても「爽やかだ」とか、そういうイメージも持たれる場合が多い。
しかし、マンガ少年に対しては、まず『オタク』という言葉が投げかけられることは想像に難くない。そして多くの場合、「夢みたいなこと言っているな」と来るのがオチだ。場合によっては「キモイ」なんていうイメージを持たれることもあるだろう。
二人とも自分の将来に対して一生懸命向かっていることは一緒なのに、スポーツに対しては良く評価されることが多いのに対し、文化系の活動に対しては悪く評価されることが多い。
教育現場において、「中学の時に運動部に入らない男子生徒はダメだ」という先生がいるのも確かだ。
これを『スポーツ至上主義』と言わずしてなんというのか。

部活動はこのような『スポーツ至上主義』の上に成り立っている。
放課後ごと毎日部活動で生徒ばかりか教師をも縛り付けているのは本当におかしな話だ。
いかに学校教育を捻じ曲げているか。放課後(や休日)のいろいろな自主的な活動を部活動で縛り付け、生徒に学校以外の他の社会に接する機会を奪っている。
生徒や教師の余裕を奪い、教科教育の妨げにまでなっているのが部活動である。
その部活動を否定できないのは『スポーツ至上主義』のためだ。

日本社会は、スポーツに対して非常に寛容である。
そしてスポーツ界は非常に権威主義的である。
オレは日本のスポーツ界が戦前の軍国主義の影響をそのまま維持し続けているとみている。だから軍隊式の体罰が大手を振ってまかり通ってきたのだ。
そしてそのスポーツが異常に至上のものとしてあがめたてまつられている。
体罰は、このような問題の一側面としてずっと行われ続けてきたと考えられる。  


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2012年09月10日

ドラクエは

オンラインじゃなくて、今までのがいい。
正直ついていけない。
また、8までのように、一本のソフト内で完結するのがいい。
今のように何かと連動したり、ソフト外の何かと組み合わせなければアイテムなどがもらえなかったり、不利益を被るのはどうなんだ、と思う。
ドラクエがなんで一番売れているハードで出すのか、その理由と、ソフト内で完結できない今の状況は矛盾しないか?
外伝ではあるがモンスターズなどはソフト外の要素が多すぎる。
9もすれちがいなど、外の要素が多すぎた。
10は…

回顧だなんだと言われようと、8までのドラクエのように、ソフト内ですべてのことが完結できるつくりに戻してほしい。  


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2012年06月24日

夢中人

指輪を投げた。指輪は鉄のドアにぶつかって派手な音を立てておちた。
それが、オレたちの最後だった。

……………………

どうでもいい。もう5年もたつんだ。本当にどうでもいいことなんだ。けれど、あの音が頭から離れない。今日みたいな日は特にそうだ。覚えていないけれど、あの人の夢でもみたのかもしれない。5年前なら楽しい気分になるあの人の夢。今は重い気分にさせる。5年になるのに、まだ、あの人が夢に出てくる。

…………………………………………

今日は交流会のある日だ。オレの勤務している高校に、海外の姉妹校から生徒が来る。生徒たちが2泊3日で交流する行事だ。あちらの高校では、今年から担当の先生が新しくなったらしい。オレは担当ではないが、全校をあげて迎える準備に大わらわだった。
午後になって生徒たちが到着する時間になった。担当の先生と生徒会の生徒たちが出迎える。オレが教えた韓国語を使って歓迎のあいさつをしている。オレは職員室で通訳の出番が来るのを待っていた。

一通り歓迎の行事が終わり、いよいよオレが呼び出される。今年はどんな生徒たちが来たんだろうか。そう思いながらハンドマイク片手に体育館の扉を開けた。
そしてオレは固まった。

いるはずのない人がいた。
“니 왜 여기 있니?“
あの人が振り返って言った。
“오빠?”
“…”
“저에요”
5年ぶりに聞くあの人の口癖だ。
“보면 알어…”
その口癖に答えるこの言葉も、オレの癖だった。
“제 얼굴도 한국어도 안잊었군요”
“…그럼…”
“통역…하시는 거죠?”
“어…그래…”

準備していたコースをまわる。学校の宿泊施設について注意事項などを説明する。時計を見たら5時を過ぎていた。今日はもう帰りたいと思った。けれど最後まで通訳しなければならない。
説明が終わり、韓国からの生徒たちは思い思いに校舎内に散らばった。引率の先生たちを校長室に案内した。あの人ももちろん一緒だ。微妙な空気を感じながら先生方を校長室に連れて行った。

“서로 아는 사이였어요?”
年配の先生が聞いてきた。
“아…예…”
オレが言葉を濁しているとあの人が答えた。
“오빠와 저는 사귄 사이였어요”
“아니 그럼 뭐뭐선생님은 저 응응선생님이 이 학교에서 일하는 것을 아셨는거에요?”
“아녀…혹시나…하는 생각은 있었는데요…진짜 다시 보개 될줄은 몰랐었요”
そうか、あの人はオレと会うことを予想していたのか。
“보고 싶었거든요…”
え?
“오빠는…저를 보고 싶지 않았어요?”
答えられなかった。
普段の生活ではほとんど思い出すことはなかった。夢で…たまに夢であの人に会うだけだった。今日の朝と同じように。忘れたんだと思った。あの人と同じように、オレも平気になったんだと思った。だから、あの人に会いたいとか、考えたこともなかった。だから…
いや、答えられない理由はそんなんじゃない。もっと単純だ。もう校長室に着いてしまったからだ。

…………………………………………

指輪がなくなってしばらくたった後、あの人の妹が言った。
“언니는 오빠한테 버림 받았다고 생각한 거에요”
冗談じゃない。捨てられたのはこっちだ。話も聞かず自分の感情ばかり押し通そうとして、それがうまくいかないとなるや、最終的には飽きたおもちゃを捨てるようにオレを捨てたんだ。それも、オレにとっては外国の土地で。あの人はオレを一人にしたんだ。

…………………………………………

(つづく)
  


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2012年03月19日

1年後の震災レポート 2

大槌町にはいってガソリンを入れた。店舗もない野ざらしのスタンドだった。少し値段が高いな、と思いつつもふと見たら、大槌町役場の目の前だった。時間が気になって役場をみたら時計がある。4時15分を指していた。「おや?」と思いつつも写真を撮りながら歩いていると別の建物では3時ちょっと前を指している。釜石に入ったのが11時ちょっとすぎたくらいだったから3時や4時というのはあり得ないのだが、天候のせいもあって妙に説得力があった。
旧大槌町役場の前を通り墓地がある小高い丘の上にいったとき、ひょっこりひょうたん島のテーマが流れてきた。そこで、今が12時であることに気がつき、愕然とした。あの時計は、単純に止まっていたわけではない。大槌町の時間が止まっていたのだ。
そしてひょっこりひょうたん島のテーマは「シャレにならない」と感じた。小さな島は津波に弱いだろう、という先入観があったからだ。しかしあとになって歌詞をよくよく考えたとき、その考えが間違っていたことに気付いた。
……………………………………
ひょっこりひょうたん島  井上ひさしほか作詞 宇野誠一郎作曲

波を ちゃぷちゃぷ ちゃぷちゃぷ かきわけて
(ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ)
雲を すいすい すいすい 追い抜いて
(すい すい すい)
ひょうたん島は どこへ行く ぼくらを乗せて どこへ行く
ウーー ウーー
丸い地球の 水平線に 何かがきっと 待っている
苦しいことも あるだろさ 悲しいことも あるだろさ
だけど ぼくらは くじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
……………………………………

この歌は、苦しいことや悲しいことが起こることは否定していない。
ただ、それに対してくじけないぞ、泣くのはいやだから笑ってしまおうという歌詞だ。
とまっている時間を動かそうという決意のあらわれなんだ、と思った。
地震後、「頑張ろう」「負けないぞ」という言葉が盛んに言われた。
けれど大槌町の人たちが選んだ、時を告げる歌にはいっているのは、「頑張ろう」なんて言葉じゃない。「負けない」なんて言葉じゃない。
頑張るとは「頑なに張る」と書く。頑なに張り続けたら最終的には破れてしまう。破れたあとはどうすればよいのだろう? それに対して「笑い」はゆるみから来る。「頑張り」とは根源的に対照的な言葉だ。
「負けない」とは勝負の対象があって初めて成り立つ言葉だ。そして勝負事には必ず「終わり」がある。「終わり」のない勝負など、勝負していないに等しい。「負けないぞ○○」というステッカーを張った車を何台も見たが、「終わり」にたどりついたその先はどうするのだ? そもそも何をして勝ったと言えるというのだ? そしてもし「負けてしまった」らどうするのだ? このように「勝ち」「負け」などの言葉を使うと非常に気持ちを縛ってしまう。「くじけない」という言葉はそんな終わりのある言葉ではないし、対象があるわけでもない。ただただ、苦しみや悲しみが来てつまずいても、また立ちあがれるんだということである。
なんとステキな選曲だろう!!

ただ、ひとつ。
今はまだ、つまずいていてもいいんじゃないか。無理して笑わなくてもいいんじゃないか。大声で泣いてもいいんじゃないか、と思った。
皆がみんな、同じ時期に立ちあがれるとは限らない。もう泣くのはいやだと思えば笑えばいいし、まだ立ち上がれない人は泣いていてもいいと思う。
津波被害にあった地域はそれだけ、まだまだ時間の進みが遅いということだ。(「復興」という言葉も嫌いなのでこう言う表現になる。)

車を進めながら、「支援ありがとうございました」という看板をよく見かけた。
この看板にオレはがっかりした。
日本では「厚意を受けたら感謝の言葉を述べる」ことが過剰になりすぎていると思ったからだ。
この目で見た限り、どのパターンの「被災地」も支援を受けて「当然」のダメージを負っている。彼らだけで「復興」などとうていできない話だ。
だから、そこは持ちつ持たれつであって、次にどこかで災害があり、かつその時に自分たちに余裕がある場合に、支援をすればいいことである。「ありがとう」という言葉がなければ、支援ができないというのであれば、それは見返りを求めるものでどこかギスギスしたものになってしまう。
「被災地」は「ありがとう」を言わなくていい。堂々と支援を受けてほしい。
そもそもまだ「ありがとうございました」と言えるほど「復興」してないじゃないか。

それぞれの「被災地」には、時間を進めようという動きがある一方、まだまだ、立ち上がれない人も多い。そういった人たちに「もう泣くな」とか「支援ありがとうございました」という言葉は切り捨てに近いものがあると思う。
被害を受けた方々に、ゆっくり、時間をかけて
「だけど僕らは くじけない」
と思うことができるような環境を整えていくことが必要だと思った。
(続く)  


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2012年03月14日

1年後の震災レポート1

テレビでは「被災地」という言葉一つで表現される東北地方太平洋沿岸部であるが…
オレは盛岡から遠野を経て釜石に入った。
はじめ、テレビなどでよく流れる風景がでてこなかったため、「あれっ?」と思っていた。
しかし、海に近付き、トンネルをくぐったあたりから、様相が一変した。
鵜住居地区にはいった時には釜石の内陸部との違いに愕然とした。
単純に標高差が明暗を分けたと言ってもいい。
宮古市や気仙沼市、石巻市も同様である。
これらの自治体は人口も多く街も大きいので全壊にならなくて済んだ。
いろいろな問題はあるだろうが、自治体としての形は保つことができた。
大槌町や南三陸町はそうはいかなかった。
全壊に近い被害だった。
特にオレは大槌町に大きなショックを受けた。
釜石市の鵜住居地区でもショックを受けたが、それ以前に通ってきた繁華街は、ぱっと見た限りでは津波の被害が見えなかったこともあって、釜石市の一部が被害を受けた(とは言っても悲惨な状況だったことは大槌町も鵜住居地区も同じである)という印象だった。
しかし大槌町は町全部が被害を受けた、まさに「壊滅」状態だったのだということがよくわかった。
宮古市や気仙沼市、石巻市はどちらかというと釜石市のパターン、南三陸町は大槌町のパターンだったと感じた。
マスコミは「被災地の○○(←自治体名)」と一言で言ってしまうため、すべての「被災地」が大槌町のように「全壊」状態のように感じてしまっていた。
このような情報の誤解があったことを再確認したとき、釜石市パターンの「被災地」の瓦礫の撤去状況と、大槌町パターンの「被災地」の瓦礫の撤去状況に差があることが気になった。
釜石市パターンのほうではある程度瓦礫が取り除かれ津波の被害を受けた地区にも営業しているお店などが見えたり、人の流れが見えたのに対し、大槌町パターンの「被災地」では、釜石市パターンのような動きが見えないのである。処理できていない瓦礫や道路の劣悪さは釜石市パターンにはあまり目立たなかった(なかったというわけではない)。
語弊を恐れずに言えば、釜石市パターンの「被災地」息を吹き返し始めているのに対し、大槌町パターンの「被災地」は未だに「死んだまま」なのである。
もちろん、釜石市パターンの「被災地」にもまだまだひどい状況のままの地区がたくさん残っていることも確かだし、大槌町パターンの「被災地」の方々も他の「被災地」同様に生き返ろうと必死に踏ん張っているのも確かだが、オレがそれぞれの「被災地」に対して差を感じたことも事実だ。
この差を生んだのには様々な要因がある。
例えば、津波が来て大槌町の意思決定にかかわる人々が軒並み犠牲になられたこともその一つだろう。
だが、津波の被害にあって1年もたつのにこのように「被災地」に差がでてきてしまう、というのは日本国が国としての責任を果たしてこなかった一つの証だと思う。
それぞれの「被災地」に差ができたなら、その差を上方にあわせて埋めるべく調整していくのが国の役割ではないのか。その調整を全くせずに一年を過ごした、ということだろう。
「被災地」の方々やボランティアの方々の力だけではこの差は埋まらない。国の働きがなんだかんだ言って必要なのである。
ところが、小泉首相以来の日本の政治は「グローバル化」を言い訳にした「新自由主義」を標榜してきた。アメリカでも「カトリーナ」の時、富める者と貧しい者で差が出たと聞いているが、今の「被災地」では自治体レベルでそれが起こっているのだ。
国の責任を全うせず、強きを扶け弱きを挫くのがまさに「新自由主義」なのだ、と「被災地」間にできた差をみて実感した。
蛇足だが、自民党も民主党も、橋下大阪市長サマも、「新自由主義」を手放そうとしない。なぜならば彼ら自身も「強き」者だからである。
彼らがどんな言葉を使って被災した方々の気を引こうとしても、「新自由主義」を捨てない限りは、彼らが「被災者」の味方であることはできない。
(続く)
  


Posted by はぬる at 22:29Comments(0)雑感・いろいろ