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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2009年01月27日

斎藤対吉村は自民対民主ではない

 今回の山形県知事選挙は全国的にも注目されていたようで、全国ニュースでも取り上げられていた。
 が、取り上げ方に問題があるように思われる。
 つまり、衆議院選の前哨戦と言う位置づけからか、自民対民主で民主が勝った、かのように取り上げているのだ。
 おかしいだろ。
 吉村候補には民主以外にも社民や共産、果ては自民の議員も応援していた人がいたのに、なぜ民主だけが代表面しているのか。

 山形の衆議院選では民主と社民が協力するから、これは一セットに考えてもいい部分もあるだろう。しかし問題はそう単純にはいかない。

 実は今回、私は白票との2択でだいぶ悩んだ。投票会場まで悩んだ。それは白票以外では、結局自民か民主のどちらかを選んだ、と言われかねない危惧があったからだ。少なくとも私は自民民主どちらも支持しない。それなのにマスコミや財界、自民民主が望んでいる2大政党に向けた枠組みの中では、斎藤に入れようが、吉村に入れようが、結局、「自民を支持した、民主を支持した」と捉えられかねない事が分っていたからだ。そして案の定そのように報道されている。
 これは、そのような報道になることは分っていたことだが、結構惨めだ。なぜなら、自民民主どちらも支持しないけれども、白票以外の票を入れた人の投票行為を無視する事に他ならないからだ。
 例えば民主は支持してないけど吉村候補に入れた人は、自民対民主と言う構図を無理やり持ってこられると、自分が投票した候補が勝った気分には全くならない。
それどころか、投票した意味すら見えなくなるのである。

 要するに二大政党制と言うのはかなり民意を捻じ曲げるだけでなく、投票や選挙の意味を軽くしてしまう最悪な制度ではないか、と今回知事選挙をめぐって考えた。  

Posted by はぬる at 17:43Comments(0)