2010年09月23日

クニと国家とその先は?

以下のブログでコメントのやり取りをするには長くなりすぎ、先方にも失礼かと思い、こちらに掲載することにした。なお文中の個人名はAさんとすることにした。
http://naoki-edamatsu.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6a86.html#comments

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そんなに難しく考える必要はないのではないかと思います。
今現在の私たちが抱いている「国家」という概念は近代社会に登場したものです。アジアにおいてはたかだか150年程度の歴史しかありません。それ以前のクニの概念が今と違うものであったことは、対馬宗氏が対馬藩として江戸幕府に対応していた半面、朝鮮王朝に対しても、とても近い関係をもっていたこと、琉球王国に対する清と薩摩藩の関係が両立できたこと、倭寇をはじめクニを超えて活躍していた人々がいたことなどからうかがえると思います。こう考えると「国」の概念は固定的なものではなく、非常に流動的なもので今の「国家」という概念も、いつかは変化していくものだということは想像できるのではないでしょうか。したがって国旗が国家を表すと考えるのなら、国旗も非常に流動的なものと捉えるのが自然でしょう。

しかも、日本の近代「国家」という概念は自然発生的に起きたものではなく、誰かが作り出した概念と言えます。それは江戸幕府を倒しヨーロッパと付き合う上で必要があった部分は否めませんが、人工的・急造的であったがゆえに相当ゆがんだものになっています。例えばヨーロッパにおいて、国家が市民を抑圧するときには市民はその政府に対して拒否できる権利をもつことが明文化されている国もあるのに対して、日本においてはいまだに「お上のやることに口を出すな」、「皇室に対する無批判・意味のわからない持ち上げ方」といった封建的な考え方が幅を利かせています。つまり日本社会は明治以来、システムは近代的なものなのに、考え方が封建的だということに特徴があるといえます。そして、日本の権力者(支配層)たちはこのことをおおいに利用してきました。(今でもそうです)
このことを念頭に置いたとき、Aさんの
>一国民同士では仲良くできても国家というよろいを着ると途端にいさかいが起きるのです。
という指摘は正鵠を得ています。なぜならば、国家というよろいを着せていさかいを起こさせる人々が権力を握っているからです。そして、そうすることで利益を得ています。昔はそのことを軍事力に任せて、隠すことなく表に現していましたが、今ではそんなことをすると立ち行かなくなるので、代わりに資本力に任せた経済侵略という形で巧妙に隠しているといえます。

さて、国旗に話を絞れば、まず日本に国旗ができたのは1999年のことです。それまでは(大日本帝国においても)誰かが「日の丸が国旗だ」と言っていたものにすぎません。このことを指摘しておきたいと思います。しかし、日本の場合、「日の丸」を利用したい権力者によって、日本帝国主義の旗とされてしまったわけです。「相当ゆがんだ近代国家日本の、法的に根拠のない、国の旗」というわけのわからない状態になってしまうわけです(近代国家は契約社会ですので法的根拠というのは大切な概念です)。そしてそのことを大日本帝国が強く国民に押し付けてきたことが、今でも「日の丸は日本の国旗」という考えをもつ人々が多い理由でしょう。したがって国旗は決して一個人の表札にたとえられるものではありません。むしろ抑圧のための道具・拘束具と見るほうが自然ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
>時として民族の強いアイデンティティを体現したものということもできるでしょう。
ということも確かにあります。しかしこれも、近代「国家」に対抗するためにできたまとまりを象徴するものとしての意味があるわけで、結局は一個人を「民族」という枠に抑圧する機能をもっているわけです。
さらに、中国の人々が国旗を踏みつけるのには何重にも意味があることでしょう。中国の人々にとって「日の丸」は、どこまでいっても帝国主義の象徴でしかなく、「日の丸」を使い続けるのは、無反省の表れと映っていることでしょう。そこに国家意識を強く刺激する「領土問題」がリンクされれば、「日の丸」に矛先が向くのはある程度理解できる気がします。(もちろん日の丸を踏みつけることに意味をもたせている「中国」側も、近代「国家」の枠にとらわれているという批判ができる)
>それにしても、相手の国旗を足で踏みつける行為は、許されるべきではないと思います。相手の存在そのものを認めない、抹殺に通じる行為だと思います。
と書かれていますが、むしろ「日の丸」を踏みつけることは、「早く大日本帝国なんてものの考え方から抜け出しなよ」というアドバイスなのかもしれませんよ。

大人の対応について、なるほどAさんは双方に求めるつもりで書かれたのですね。そこは私の読み取りが足りませんでした。すみません。ただ、「大人の対応」というのは先のコメントにも書いたとおり、何をもって大人とするかわからない以上、あくまでAさんが考える「大人」でしかありません。そして、さらに問題は目下の者が、目上の者に「大人になれ」とは言わないように、「大人の対応」と言った瞬間に自分を高みに乗せてしまう危険性があります。
日本社会において、韓国・北朝鮮・中国と日本の間で何か問題が起きると、どうも日本を高みに乗せて話すような雰囲気を非常に強く感じています。例えば原爆投下に関して(沖縄の米軍基地にでもいい)反対する活動があったとして、そのデモを「反米デモ」とは言わないのに、韓国などで何か日本に対する抗議活動があると「反日デモ」と平気で言いますよね。
私はこのことにすごく違和感と恐怖感を抱いています。
Aさんがそうだというわけではなく、日本社会全体に「無意識の優越感」があると考えています。そしてそれは、明治以来の近代「国家」が作り出してきたものでもあります。Aさんは「無意識の優越感」についてどう考えますか?
  

Posted by はぬる at 13:59Comments(0)日本とは

2010年09月05日

くだらね

そもそも
民主はダメだと考えている人にとって、小沢だろうが菅だろうがどうだっていい。
っていうか、どっちもダメ。
あくまで民主党の代表選。
民主党員の問題であって、党員でない人にとってはどうだっていい問題。
それをさも国民全体の問題のように放送するマスコミがおかしいのさ。
  

Posted by はぬる at 22:39Comments(0)日本とは

2010年09月05日

NHKの少数政党排除報道に関して

NHKに関してとんでもないことが起きていることを

『“希”動力-袖番号96、伊東勉のページ。』さん
http://plaza.rakuten.co.jp/benitoh/

『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さん
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1971.html#comment-top

で知った。

以前、NHKのニュースを見ていて疑問に思ったことがあり、次のようなメールを送って質問したことがある。

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5月25日19時のニュースを視聴していて、2点ほど疑問に思ったことがあったのでメールをさせていただきます。
1点目
NHKでは、この時間のニュースにおいて沖縄の問題を「普天間基地移設問題」と報道していますが、何か理由があるのでしょうか。
沖縄において普天間の問題は「日米安保」体制が抱える様々な問題の中の一つであり、「日米安保」体制によって固定化されている「沖縄の基地」の問題の中の一つであって、「普天間基地移設問題」という別個の問題ではありません。むしろ「普天間基地移設問題」という表現を使うことは、問題を矮小化させる危険をはらんでいます。このことは沖縄にある基地の地図を見るとよくわかります。普天間基地以外にも、沖縄には普天間基地の何倍もの基地があります。そして普天間基地においてだけ問題が起きているわけでも、沖縄の人たちが、普天間基地のみを返還してほしいと考えているわけでもありません。
なのに「普天間基地移設問題」という表現によって、問題が矮小化し、沖縄の人々の意見も非常にゆがんで捉えられるのではないか、という危惧を抱いています。
この点に関して、なぜNHKでは「沖縄の基地問題」や「日米安保条約に起因する基地問題」とせずに、「普天間基地移設問題」とするのか説明がほしいです。また、今後この名称を変更する気があるのかどうか、回答がほしいです。

2点目
同ニュースにおいて、福島社民党党首が沖縄に行ったことについて、「一方野党は…」としながら、自民党の見解のみを報道していました。
このことは非常に問題があると考えます。
私個人としては、もともとから自民党と民主党に大した差がないと言う共産党の見解に賛成でした。去年の総選挙の際に「政権交代」が盛んに言われた時にも、大した変化はないだろうと見ていました。そうして実際、鳩山政権は何もできずにここに至っています。(「政権交代」などという、無責任で大げさなマスコミのレッテル貼りに対しても言いたいことはあるのですが、ここではひとまず置いておきます。)こと、「普天間基地移設問題」に関して、民主党は、自民党と全く同じ結論しか出せないでいます。
それなのに、「野党」の見解として自民党のみ報道するのは全く意味がありません。このことは、今日のニュースだけにかぎったことではありません。多くの場合で民主党と自民党の見解を見ることができますが、意見を全く異にするはずの共産党の見解を見ることは稀です。(頻度でいえば、最近は、みんなの党も見ることができるようになりましたが、自民民主とどう違うのでしょうか?)そもそも国会に議席をもつ政党は民主党と自民党だけではありません。ほかの政党を無視して、国会内の多数派である、この2党におおくの時間を割くのは、本当に「不偏不党」と言えるのでしょうか。多数派の意見は何もしなくても耳に入ってくるものです。しかし少数派の意見はよほど努力しないと入ってきません。マスコミの役割は多数派の意見をただ垂れ流す、ということではないはずです。それよりも少数派の意見を、よりたくさん掘り起こして紹介するのが、マスコミの社会的な役割ではないでしょうか。それをせず「野党」として自民党の意見のみを紹介するのはどういうことでしょうか。ましてや、今の国会内において「野党」はひとくくりにできない勢力図になっています。
前述したように、自民と共産をひとくくりにできるはずがありません。その状況で党によって扱いに差をつけるのは、どういった根拠によるものなのでしょうか。説明がほしいです。議席数の差というのは理由にならないのは前述のとおりです。参議院選挙も近いのでなおさらです。むしろ有権者の判断材料を増やす意味でも、少数政党の意見をより多く取り上げるのが本当のジャーナリズムでしょう。
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この質問にNHKは以下のような返信をくれた。

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日頃からNHKのニュースをご覧いただきありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。

 普天間基地の移設問題ですが、「沖縄の基地問題」や「日米安保に起因する基地問題」と広くとらえた中での問題であるというご指摘はその通りだと思います。
ただ現在の状況は、総理が5月末と区切って普天間基地の移設に道筋をつけるとしたことから始まっています。その時期が迫る中での日米合意や沖縄などの動き、連立政権内での動きが断続的に出てきておりますので、普天間基地の移設問題という括りで伝えております。しかし広い視点を踏まえて伝える重要性はご指摘の通りで、ニュースや番組などで機会を捉えて取り上げていきたいと思っています。
 それからこうした問題への政党の反応などの扱いについてです。日常のニュースでは時間的な制約もあるため、各党をいつも取り上げることはできません。しかし各党の声を伝える重要性はご指摘の通りであり、総理の沖縄訪問や徳之島町長との会談など節目となるニュースでは、各党を取り上げておりますし、今後もそうしていくことにしています。
 それ以外のケースでは、党によってはインタビューや会見がないことや、ニュースの放送までに取材ができないことも多くあります。また会見があっても、取り上げるニュースに言及していない場合もあります。そうした場合には、インタビューや会見を行った党の中から、幾つか取り上げて放送していますが、時間の制約などから、与党が1党や、野党が1党だけとなるような場合もありますことを、ご理解いただきたいと思います。

今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。
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この返事をもらった後、NHK のニュースを気をつけてみていたのだが、この数カ月、野党といった場合はほとんど、自民・みんなくらいしか映さなかった。
そこに来て「日曜討論」から少数政党を排除するという。
村野瀬さんの「少数政党を排除するNHKは報道機関ではなくなったといえます。」という意見に同意する。

っていうか、NHKの番組は俺らの受信料からできてるんだよねぇ。
なんで自民や民主の意見を宣伝するような番組に、カネ払わんといけんのよ。
NHKはどんな理屈でこの矛盾を説明するのだろう。
  

Posted by はぬる at 22:35Comments(0)日本とは