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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2013年01月23日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 4

3.北方『水滸伝』を水滸伝と受け取る読者層の問題
検索エンジンで「水滸伝 書評」で検索すると、北方氏の『水滸伝』について書いたブログが圧倒的に多い。そしてその中のいくつかを除くと、「水滸伝は面白い」「原典とはだいぶ違う」「原典は読んでない」といった言葉が並ぶ。小説としては非常に面白い作品であるのは確かなようだ。前述したがここでオレは小説としての『水滸伝』を批判しているわけではない。ただ、原典を解体再構築して、キャラクターの造形まで変えているのに水滸伝というタイトルやキャラクターを使っていることに対して批判を加えている。
そして、受け手側はそのことにどれだけ批判的だろうか。
北方氏は楽天ブックスの著者インタビューで「キューバ革命」を描きたかったと言っている。(http://books.rakuten.co.jp/event/book/interview/kitakata_k/)
であれば、キューバ革命そのものでやればいいのであって、水滸伝を利用する必要はない。こう言った批判は受け手の側からは全く聞こえない。
無邪気に北方氏の『水滸伝』を水滸伝として紹介する書評を読んでいると、本当に水滸伝が好きなのだろうかと、疑問すら湧いてくる。
例えば、SONY READER STORのサイト(http://ebookstore.sony.jp/stc/special/news/suikoden/)には108人のうちの一人、花和尚魯智深に対して次のようなことが書いてある。

  たとえば、人気登場人物のひとり、花和尚魯智深は中国版では酒乱の乱暴者だが、北方版では、少年の時からのつきあいの総帥宋江の語る世直しの檄(げき)を筆写した冊子「替天行道」を持って全国を行脚する、全能の伝道師、という役どころに改変された。

ここでは原典において酒乱の乱暴者にすぎない魯智深を北方氏は重要な役どころに改変したという風に読める。しかしオレには、この紹介文を書いた者が本当に原典を読んで理解した上で、北方氏の改変を評価しているのか相当に疑わしい。
原典の魯智深はただ「酒乱の乱暴者」なわけではない。彼は弱きを扶け強きを挫き、酒がめっぽう好きで豪傑である、という梁山泊の理想を典型的に具現化したような性格で、最後は梁山泊軍にとって大きな役割を果たす。そして最終的には悟りをひらくという役どころなのであり、当時の中国人の宗教観まで内包した重要な人物なのである。
だからこそ、徹底的に梁山泊を否定し、梁山泊の豪傑108人が全滅するまでを描いた、前述の兪萬春による「結水滸伝(蕩寇志)」でも、魯智深は敵に殺されるのではなく少し特別な死に方をする。
原典の魯智深がただの「酒乱の乱暴者」としてしか捉えられない者が、北方氏の『水滸伝』の紹介文を書くことが不思議でならない。
(続く)
  


Posted by はぬる at 20:17Comments(0)雑感・いろいろ