2015年04月05日

都市化と時間感覚について

さっき「みやちゃん、アツシの南米便り」というラジオ番組で南米の時間感覚と日本の時間感覚の違いについて話していた。大枠では南米→時間にルーズ、日本→時間を守るという対比で話がすすんだ。「日本」をひとくくりにしていたことも気になって、次のようなメールを番組に送った。

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2015年4月第1週の放送について

南米社会の時間感覚というテーマの放送でした。
この中で、少し気になった部分がありましたので、メールを送らせていただきます。

世界中どの社会であっても、歴史上時間感覚はそんなにきちんとしていませんでした。
南米に特有のものではありません。
そして、日本が特別きちっとした時間感覚を持っているわけでもありません。
日本にも、ウチナータイムとか、山形時間、
韓国に行けばコリアンタイム、東南アジアでも同様の時間感覚があります。
一例で言えば沖縄では
よる8時集合時間の飲み会があったとします。ですが、8時に乾杯することはあまりないようです。
大体8時ごろになったらみんな家を出て、10時頃に全員そろったら乾杯するようです。
また、山形や沖縄ではバス時間も時刻表どおりにはならないことが多いです。
(しかし、これはだいぶ改善されていると思われます。理由は下記のとおり)

では、きちっとした時間感覚を持っている社会とそうでない社会の差はなんでしょうか。
一言で言えば、都市化された社会かどうか、という差です。
都市化した社会は秩序が大事になります。
なぜならば、都市化した社会は名前もわからない他者が大勢いる社会だからです。
そのような社会では無駄な摩擦を少なくするために秩序が大切になってくるのです。
そして、時間を守る意識というのは秩序維持のための基本的な意識になるのです。
例えば、日本の田舎で電車が3分遅れたとします。
しかし、乗客はあまり気にしないでしょう。
次の電車が1時間後であることを考えれば、3分程度でダイヤの秩序が乱されたとは感じないからです。
けれど、都市ではどうでしょう。3分の遅れは電車1本の遅れです。ダイヤの秩序を考えれば、大きな出来事になります。
つまり、都市化された社会とは、言い換えれば時間に「縛られる」社会だということになります。
そして、時間を守ることと同時にインフラ整備もすすめられていきます。この二つは都市化のための両輪です。
インフラが整備されて時間感覚がきちっとしてくる、時間感覚をきちっとするためにインフラを整備する。
どちらが先ではなく、どちらも互いに影響を与えながらすすめられるものです。

日本の都市化は明治時代くらいから始まりました。言い換えれば日本人は明治以降、時間に縛られるようになったのです。
ただ、一度に日本すべてが都市化されたわけではなく、東京や大阪を中心に少しずつ都市化が広がっていきました。
沖縄や山形などはだいぶ遅く都市化の波が到達しつつある状態だ、といえるでしょう。

南米も同様です。
都市化が必要な分野や場所は時間感覚がきちっとしているはずです。
だから、同じ社会で時間にルーズな部分と時間にきちっとしている部分が混在しているのです。

時間感覚の問題は「近代」を考える上で非常に大きな問題です。
そして「近代」を考えることは、現在と将来の私達の生活を見据える上で避けて通ることは出来ません。
さらに、「近代」化することが無条件で肯定されるべきものでもありません。
時間感覚の問題はこのように大きな問題をはらんだものなのです。

日本が特別に時間にうるさいわけではありません。
どの社会も資本主義が発達し、都市化がすすめば、遅かれ早かれ時間に対する感覚は変わってくるはずです。

参考までに、ミヒャエル・エンデ著『モモ』をおすすめします。
都市化することと時間感覚の問題が良くわかると思います。

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昔、韓国にいたときに東京出身者・大阪出身者・韓国人・私で時間を守ることの話になった。東京・大阪出身者はかたくなに日本のバスは時間を守る、と主張していた。私は山形や沖縄の例を出して反論したが、それは一部だろうといわれた。
おそらく、都市化された社会の人には見えないことなのだろう。
ラジオのDJ、竹内都子さんも大阪出身の方だ。だから単純に南米は時間にルーズ、日本は時間を守る、だからすごい(行き過ぎた日本スゲーというニュアンスではないが)と乱暴に括ってしまっているのだろう。そろそろ、こういう意識から脱却して欲しい。
⇒無批判に都市化したがる山形人にも言えるが。
  


Posted by はぬる at 11:02Comments(0)雑感・いろいろ