2011年05月22日

千思万考?「一思一考」にタイトルを変えるべきだろ。

日曜昼テレビ朝日系でやっている番組の一コーナーに『黒鉄ヒロシの千思万考』というコーナーがある。
「激動の現代社会、いま歴史を透かして何が見えるのか…。黒鉄ヒロシがその類い希な知識とユニークな歴史観で歴史上の偉人たちの生き様を浮き彫りにする。」とはコーナーが始まるときに入るナレーションだ。千思万考とは「千を思い、万を考える」という意味だろう。
しかし番組の実際はどうだろうか。本エントリーはこのことを批判的に考察してみたい。

日本の近代的な歴史教育は明治の帝国主義時代から始まった。その時点での歴史学は、いかに天皇家が大日本帝国の統治者にふさわしいかを、歴史によって証明するという性格を帯びていた。だから神武など、実際はいなかったと思われる天皇(本当は天皇じゃなく大王なんだけど、ここでは繁雑になると悪いので、大王と天皇の区別はつけない)も歴史上の人物として扱ったし、ありもしない皇紀2600年なんてものも、歴史学は批判する力を持っていなかった。『日本史』は天皇家中心の歴史にならざるを得ず、その周辺の人々の歴史は、矮小化されるか無視されるかのどちらかでしかなかった。琉球や朝鮮の王家は天皇家の分家のように言われ(日琉同祖論、日朝同祖論-これらを主張することで沖縄・朝鮮の植民地化の正当性を主張しようとした-)、古代朝鮮像の矮小化は、神功皇后の三韓征伐や任那日本府のような神話を、強引に歴史事実とすることですすめられた。また、アイヌや『東北』の歴史的な主体性は無視され、近畿や江戸の政権に常に「従」であったかのようなイメージを植え付けていった。
『日本史』といったとき、その主な中心人物は多くの場面で天皇家や近畿の政権から波及した人々であり、周辺の人々や名前の残らないふつうの人々が中心になることはほとんどないのである。

さて、現代の人々が一般的に抱く歴史像は、上述したような近代的な日本の歴史像を乗り越えたことができたであろうか。
例えば、『日本の古代史』というとき、何の断りもないのに地元ではなく、近畿の事件や人物を思い浮かべたりしていないだろうか。そういう人は、なぜ地元の歴史人物・事実ではなく、聖徳太子やら天武天皇、聖武天皇、壬申の乱や藤原氏の権力獲得のための諸動乱を思い浮かべるのか(近畿の人は近畿の人で、なぜ名が通った人ばかり思い浮かべ、山上憶良が読んだような人々がなかなか頭に浮かばないのか)、考えてほしい。
「坂上田村麻呂」に焦点は当たるが、「蝦夷」には焦点がなかなか当たらないのはなぜか、そういったことを考えれば、少しの前進はあるとはいえ、上述のような歴史観を乗り越えたとは言えないだろう。最近、歴史教科書では「坂上田村麻呂は蝦夷を討伐した」という言い方をしなくなってきてはいるが、記述はいまだに近畿の政権中心に描かれている。
特に古代史は「日本」というまとまり自体がなく、近畿の政権(ヤマト政権)自体が一地方の政権にすぎない…少なくともアイヌ、沖縄人、蝦夷たちには関係のない政権であったにもかかわらず、まるで近畿の政権が日本全体をカバーしているかのように描かれている。
これは戦前の歴史学の影響がいまだに色濃く残っていることを示唆しているといえるだろう。

このようなことを踏まえて、「千思万考」コーナーを考えてみよう。
このコーナーは番組自身が言っているように、「歴史上の偉人たち」しか語られない。この時点で旧態依然である。偉人を否定する気はないが、偉人が偉人たり得るためには、名前の残っていない多くの人々が背後にいるのである。坂上田村麻呂がクローズアップされるのは名前が残っていない多くの蝦夷たちが頑強に抵抗したからなのだ。ここを考えられなければとても「千思」とは言えない。旧態依然な「一思」しかしていない。
また、「類い希な知識とユニークな歴史観」とある。「類い希な知識」については特に否定しないが、「ユニークな歴史観」には大いに疑問を持たざるを得ない。黒鉄氏はその人物について、「一般的に○○と思われていますが、実は△△」ということがあり、このことを「ユニークな歴史観」としているのだと思うが、そんなものは歴史観でも何でもない。そもそも歴史上の人物をイメージだけで語るような風潮が強いからそういうことになってしまうのだが、ある人に対するイメージが変わったところで、歴史に対する見方が変わるものではない。「万考」などと大風呂敷を広げるのなら、「坂本竜馬は維新の英雄という見方が一般的ですが、東北や沖縄の人々にとっては英雄でも何でもない、むしろ自分たちのこれまでの生活を壊した破壊者という見方も成り立つんですよ」ぐらい言ってほしいものだ。そもそも、「近代化」が無条件にいいものかどうか、批判的な検討なしに「万考」はないだろう。これまでの歴史観を検討しないのなら、結局のところ「一考」しかしていない。

このコーナーの一番悪いところは、旧態依然の歴史観(日本史=近畿の政権中心史)を垂れ流しておいて、さも新しい歴史の見方をしているように見せかけていることだ。このコーナーではアテルイや渤海と交易していた東北の人々、東アジア・東南アジアを縦横無尽に結び付けた倭寇、中国東北地方の人々やオホーツクの人々・琉球の人々と交易を盛んにしていたアイヌの人々、そして中国との関係を強くして東アジア・東南アジアのハブ港となって交易の中心になった琉球の人々が語られることはない。それは、「歴史上の偉人たちの生き様を浮き彫りにする」というコーナーのつくりのせいではなく、そもそもそういう発想自体が明治以来の旧態依然とした歴史観のたまものだからである。

以前のエントリー("がんばろう日本""がんばろう東北"の呼びかけがウソな理由)でも書いたことだが、東北の復興を本当に願うなら、東北の人に「歴史」を返すことだ。東北の人々が主体的に生きてきたことを示すことだ。「歴史を透かして現代社会を見る」なら、名前が残らなかった人々にも焦点を当てることだ。天皇家の歴史、ヤマトの歴史から離れることだ。それは、旧態依然の歴史観から乗り越える作業に他ならない。できないなら「千思万考」などというべきではないのである。

きわめて蛇足であるが、今日の「千思万考」で黒鉄氏は沢庵和尚が「島流し」にあった、と言っていた。そうか、彼の頭の中では山形県上山市は「島」なのだな。ヤマト中心の歴史にはあれほど知識があっても、周辺の歴史になると所詮その程度のイメージでしかないのである。「千思万考」が聞いてあきれる。

"みちのく"や"東北地方"という言い方は、結局のところ誰かから見て『道の奥』だし、『東北の方角にある地域』であって、東北の人間自身の呼び方ではなく近畿政権の視点が入った呼び方だ。だから、本エントリーでは混乱を防ぐためあえて「東北」としたけれど、エミシ地方とか、陸羽(りくう)地方とか六州地方とかに改称したらどうだろう。

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