2013年01月27日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 5

さらに次のような傲慢ささえ感じる紹介文もあった。
 
  北方「水滸」、新しい古典へのあくなき挑戦 山田祐樹
(前略)
 その百八人の英雄、豪傑たちが梁山泊に集うまでの七十回までは、まことに胸が躍る痛快譚だが、官の手先となって百八人のうち八十人近くが犬死していく後半はまことにつまらない、そう考えた清代の金聖嘆は、後半を捨てて、百八人が集うまでの七十回をもって定本「水滸伝」と決めてしまった。以後、中国では「水滸伝」といえば金聖嘆版七十回本と信じられ、それは毛沢東の時代まで革命の書として愛読されてきた。
 北方「水滸伝」は、かつて金聖嘆が百二十回本「水滸伝」に異議を唱えたように、既成の「水滸伝」に異を唱えた結果である。しかし、金聖嘆の異は、当時の明末の時代背景を踏まえ、印象批評による後半の削除にとどまったようだが、北方謙三の異は、豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて、中国版「水滸伝」の物語の構造に立ち入った異議である。それは、強引に要約をすれば、以下の三点に集約される。
一 断片的な講談や演劇を長編化したせいで、作中の時間の流れが恣意的で、精読するにいつ何が起こっているのか、誰が何をしているのかが、きわめてあいまいなこと。
二 人物の個性が数人を除いてはあいまいで、単純で粗暴な乱暴者とか、忠義な武将とか、人格者の地方豪族とかが複数登場して、その描きわけができていないために、物語全体を通読すると、著しく起伏に欠けること。
三 あくまで百八人の英雄が偶発的に梁山泊に集結したとされているが、そのために筋立ては偶然につぐ偶然の集積になってしまったこと。
 北方謙三はこの三点をクリアすれば、言葉の真の意味での新しい「水滸伝」を構築できると確信して、その難関に挑戦した。
一については膨大な時制表を作成し、不要なエピソードや意味のない反復に大鉈(おおなた)をふるい、また挿話を追加して、物語の中の時間の流れの一本化をはかっている。そのために、きわめて読みやすくなり、山場が無理なく連続していく結果となっている。
二については北方「三国志」で呂布(りょふ)の性格を変えたようなことを完全に徹底して行った。たとえば、人気登場人物のひとり、花和尚魯智深(かおしょうろちしん)。中国版では、稚気あふれているが、酒乱の乱暴者。人助けのために殺人を犯し、出家して放浪の後に梁山泊に流れつく。北方版では、総帥宋江と少年の時からのつきあいで、宋江の語る世直しの檄(げき)を筆写して「替天行道(たいてんぎょうどう)」という冊子にし、それを持って全国を行脚する。全能の伝道師、という役どころである。
 三については、偶然を必然に変更している。つまり革命をめざすふたりの首領、宋江と晁蓋(ちょうがい)が綿密な戦略のもとに、経済力を闇塩によって入手し、しかるべき人材をてなずけ、来るべき戦闘の本拠として梁山泊を入手した。梁山泊にただ迷いこんで来た者はひとりもいない。
  全十九巻の北方「水滸伝」はかくのごとき作品である。
  この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。
  (Yahoo! JAPANの電子書籍アプリ - Yahoo! JAPANより 集英社e文庫 北方謙三水滸伝
http://event.yahoo.co.jp/sphone01/iphoneapp/suikoden1.html )

山田祐樹という人はどうやら集英社の編集者で北方氏の担当らしい。
Sonyのサイトの紹介文にもあったが山田氏も原典の水滸伝を「中国版」と呼ぶ。これは相当に傲慢なことだが、わかっているのだろうか。1の項目でも書いたが、水滸伝は誰か一人が勝手に書いて出来あがった物語ではなく、多くの中国民衆が長い時間をかけて自分たちの想いを紡ぐように作り出していったものである。だからこそ水滸伝や西遊記には「最終成立」という概念があるのだ。一個人の創作小説にすぎない『水滸伝』を“水滸伝”として原典と同列に扱う「北方版」、「中国版」という相対化した言い方は、歴史の中につづられてきた中国民衆の連綿とした想いを無視し、水滸伝の持つ歴史的・文学的な位置づけ、意義を破壊してしまう。
山田氏は「金聖嘆は、後半を捨てて、百八人が集うまでの七十回をもって定本「水滸伝」と決めてしまった。」という。定本としたのは金聖歎の独断であり、確かに中国では70回本が主流の時代が長かった。
しかし、70回本の定本化が無条件によしとされていたわけではない。
100回本、120回本が復権してきたことも金聖歎の70回本に対する問題意識のあらわれである。そのため、金聖歎自身もずっと批判の対象になっている。
さらに、金聖歎が切り捨てた71回以降も知られていないわけではなかったようである。(http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/6575/1/cc007004.pdf)
また、70回本が主流の時代が長かったとはいえど、金聖歎の切り捨て(これを腰斬という)以後、100回本、120回本がすぐに姿を消したわけではない。中国で70回本以外の版本が姿を消したのは高々100年前後で、中華民国の初期には胡適によって日本に他版本が存在することが発見され、同時に金聖歎に対する批判も加えられているのである。山田氏の書き方では事実と異なる印象を受けてしまう。
付け加えれば、70回本の改変に人気が出て他の版本を駆逐するにいたったのは、スリム化・「読む」物語としての昇華(水滸伝は本来、「聴く」物語)という要因もあったに違いないが、出版業界や商品の都合の要因も大きかった(駒田信二氏の解説による)。
金聖歎の改変とそれに伴う70回本の定本化は、無批判に受け入れられるものではないのである。
さらにそのような問題の多い金聖歎の改変と、北方氏の『水滸伝』の解体改変とは根本的に問題が違うのである。単純に考えてもわかるように、北方氏の『水滸伝』は水滸伝として学術的に論じることはできないが、金聖歎の70回本は水滸伝として学術的に論じることは可能なのである。
山田氏の70回本に対する言及は、北方『水滸伝』を俎上に乗せるためである。しかし、無批判に過ぎるばかりか、根本的に問題が違う『水滸伝』と70回本を同列に扱ってしまっている。
そして
しかし、金聖嘆の異は、当時の明末の時代背景を踏まえ、印象批評による後半の削除にとどまったようだが、北方謙三の異は、豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて、中国版「水滸伝」の物語の構造に立ち入った異議である。
と、続ける。
ここには何点かの(有理、無理の意味での)無理がある。
まず、金聖歎が「印象批評による後半の削除にとどまった」とあるが、水滸伝というタイトルを冠するなら当たり前の話である。(ちなみに山田氏はここでも認識が間違っている。金聖歎がしたのは、「印象批評による後半の削除」ではなく、「印象批評」と「後半の削除」である。「後半の削除」は「印象批評」によるかもしれないが、「印象批評」は全般にわたってやっている)
最低限度の枠組みは壊していないから、水滸伝の看板が掲げられるのである。その枠組みを壊して水滸伝を名乗るなど、おこがましいにも程がある。
二点目。「豊穣な近現代小説の歴史を踏まえて」とあるが、水滸伝は明代の庶民の間で生まれた物語である。現代日本人のために生まれたわけではない。そして、問題点はあるだろうが、その当時においては、非常に優れた物語だったのである。それを「豊穣な近現代小説の歴史」などを持ち出して異議を唱えるというのは、非常に不遜な態度であり、ある意味滑稽ですらある。そこには近現代小説の礎となってきた原典水滸伝をはじめ、多くの前近代小説に対する敬意の念は感じられない。また「豊饒な」という修飾語からは、無批判に前近代の文物をより劣ったもの、近現代の文物を優れたのものとする、無批判な近現代至上主義が垣間見えていやらしい。
(続く)

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