2009年01月23日

彼岸 the other bank


 1995年山形国際ドキュメンタリー映画際で上映された『彼岸』という映画。
 仏教用語ではなく、中国語で「向こう岸」という意味になる。演出家牟森による同名の演劇を練習から公演が終わって、その後までを淡々と撮り続けた映画だ。
 しかし当時高校生だったオレはあまり内容がつかめなかった。何せ言語は中国語、字幕が英語という代物で、しかも字幕の速いことはやいこと。(だから、この記事の内容も、映画の内容を正確に捉えたものではない事を断っておく)
 今思えばオレはあの映画を見たとき、『彼岸』という映画によって『彼岸』にたたされたのかも知れない。
 
 『彼岸』とは何か。こちら側の岸には困難がたくさんあって向こう岸に渡りたいのに、向こう岸がぼんやりとしか見えず、川を渡ることが困難なとき、人はきっと「向こう岸には何かすばらしい物があるに違いない」と考えるのだろう。そしてそれは多くの場合、幻想に過ぎない。
 映画では『彼岸是什么?(彼岸とは何か)』という質問が良く出ていた。
 ある人は『彼岸是一场梦(夢だ)』と言い、又ある人は『彼岸是幻想』と言う。『彼岸』の出演者は演劇『彼岸』の公演が終わった瞬間『彼岸』にたどり着いたと錯覚した、と言う意見もあった。

 ひょっとすると彼らが公演を終えた瞬間、彼らにはまた新たな『彼岸』が出現していたのかもしれない。
 演劇に参加したのは、演劇に対して夢を抱いている10代後半から20代前半の若者達だ。牟森の演劇をとおして、自分の夢をかなえようと地方から北京に集まった。つまり彼らは、演劇『彼岸』の準備をする何ヶ月かの間、ずっと公演と言う『彼岸』に向かっていたわけだ。
 映画は公演が終わって3ヵ月後の出演者達を映していた。北京にとどまって演劇の新しいチャンスを待つ者、待ちきれず別の仕事をしなければならない者などの姿があった。結局、演劇『彼岸』は、彼らにとって公演が終わってみれば、彼岸でもなんでもなかった。

 最近山形ドキュメンタリー映画際の昔の映画を見られると言うことで14年ぶりにこの映画をみた。
 今世界中が『彼岸』を夢見ている。世界中が不況だと言われる中、アメリカで新しい大統領が誕生したからだ。
 しかし、彼がどの『向こう岸』にオレ達を連れて行こうとしているのかしっかり見極めなくてはならない。日本の小泉元首相や韓国の李明博大統領のように『彼岸』の夢を見させるだけ見させておいて、そこは『彼岸』でも何でもなかったなどと言うことがないように…

 そしてその事は、何も国際政治だけの話ではない。山形では県知事選挙がたけなわだ。ある候補はオバマ新アメリカ大統領の「change」をパクってスローガンにしていたりする。センスがないなとも思うが、対立候補だって似たようなものだ。
どの候補も『彼岸』を口にする。その『彼岸』がオレらにとって本当に『向こう岸』なのかしっかり見極める必要があるだろう。
Posted by はぬる at 15:03│Comments(0)
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