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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2013年09月12日

水をさすなよぅ

とうきょうおりんぴっくに反対している人たちに対して
「いいじゃん、せっかく7年後にくるってことでみんな喜んでんだから。水をさすなよぅ」
という意見がある。

これって、非常に日本社会の非民主性というか、独善性というか、全体主義志向というか…そういったものを表しているように見える。

冒頭の意見は、言い換えれば少数意見はしゃべるな、オレは聞かない、って宣言しているようなもんだ。
つまり日本社会は話し合いができる社会じゃない、ということを冒頭の意見を述べる人は言っているわけだ。
まぁ、本当に「みんな」喜んでいるのか、といえばそれは嘘になるわけなんだけれど。
少なくとも日本社会の中で確実に一人は喜んでいない。その時点で「みんな」という言葉は嘘なんだ。それは無視していいとかそういう問題ではなく、正確性の問題なのだ。マスコミが言う「みんな」とか「日本中が」とか言うのは正確性を全く欠いている。そんな報道にだまされてはいけない。流されてはいけない。

「水を差すな」という言葉は裏返せば、指摘された問題が大きいことを認めている、ということだ。たいしたことないものであれば、「何言ってんの?」と流して終わることだからだ。指摘されている問題が大きく解決しなければならないことはわかっている。でもそんなことは忘れて、喜びに浸りたい…そういう心が「水を差すな」という言葉に表れているのだ。

でも、問題に目を背けたまま流されることが本当にいいのか、オレはどんどん水を差してやりたくなる
  


Posted by はぬる at 23:28Comments(0)雑感・いろいろ

2013年09月09日

とうきょう おりんぴっく

(1936ねん かいさい だい11かい かき)べるりんおりんぴっくの さいらいでしょ?
おりんぴっくに かぎらず にほんの こくさいすぽーつたいかいの とらえかたが、
「ニッポン (ヨイ クニ)ツヨイ クニ」
にしか なって いない。
こくいはつようの ための たいかいでしか ない。

おりんぴっくに けいざいこうかなんて きたいする 人は、まず しんじゆうしゅぎにNOをいうべき。
それをしないで けいざいが うわむいて くらしが よくなるかも・・・なんて、すなのうえに たてた おしろ。
おおもとを かえないと だめなのに おりんぴっくで けいざいこうかなんて ほんのいちじてきなもの。 むしろ どんどん わるくなるのに めかくしされて みえなくなるだけ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わーい わーい とうきょうおりんぴっく うれしいな~
「ニッポン (ヨイ クニ)ツヨイ クニ」
っていう ばめんが まぢかで たくさん みられるぞ~
けいざいにも とってもいいんだ!!!










…という人が読みやすいようにひらがなで書いてあげた。
日本社会の思考停止状態は、本当にどうしたらいいものか。 

ついでに、国内でこんだけ元号を使わせるんだ。
招致活動はじめとうきょうおりんぴっくの諸活動でも元号でやるんだよね?
まさか2020東京オリンピックなんて言ってないよね?
へいせい32ねん とうきょうおりんぴっく だよね?  


Posted by はぬる at 20:10Comments(0)日本とは

2013年09月07日

さささんへの返信

オレはここのほかに夏天故事というブログを持っている。内容はこことほぼ同じで、互いにバックアップさせている。そこの北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文 7(最終回)のコメント欄にさささんという方から、示唆にとんだコメントをいただいた。

引用開始
…………………………
Unknown (ささ)2013-09-07 00:16:09はじめまして
水滸伝で検索したらこのブログが出てきたので興味深く読ませていただきました
個人的には水滸伝に忠実な作品に飽きてたこともあり、この作品が好きですが原作と違いすぎてダメというなら仕方がないと思います。そこは個人個人の感性一つ
ただあえて反論するなら

・アジアを下に見ている
・水滸伝が有名ではない

の2点でしょうか

北方氏の作品の傾向として「男の生き様(死に様)を書く・タブーへの挑戦」
が挙げられるかと思います
ハードボイルド作品を端緒にから最近はタブー視されがちな南北朝期・中国物の歴史小説等、作品の幅を広げており、
南北朝期の作品では後醍醐天皇を愚かだが大きな男として描き、三国志や楊家将等では水滸伝ほどではなくとも原作と大いに違う人物設定で描かれています
水滸伝の大幅な改編はアジア蔑視などではなく北方氏の姿勢に拠るものかと。

また、中国の古典小説は古くから輸入されたものも多く、日本文学に大きな影響を与えました。
三大奇書を始め、封神演技・岳飛伝・楊家将・金瓶梅等は現在でも著名な作家が多く書き、日本人に愛され続けています
中国の古典小説は欧米文学なんかよりよほど日本に根付き、日本人にとって身近なものと思いますが。。

水滸伝に関して言えば江戸期は滝沢馬琴・山東京伝・上田秋成等の作品に多大な影響を与え、
近代・現在では吉川英治氏の小説や駒田信二氏・吉川幸次郎氏の翻訳等を始め柴田錬三郎氏・津本陽氏・杉本苑子氏等錚々たる文豪があるいは原作に忠実に、あるいは大幅に改編され出版されました
勿論、小説だけでなくゲームや漫画・アニメ・梁山泊を冠した団体等、広く人口に膾炙されています
あまりに多くの作家が書き飽和状態(原作に忠実な作品が多すぎる)がゆえに敢えて全く違った世界を描いたという見方も出来ると思います
北方氏レベルならわざわざ剽窃せずとも十分売れてますし、北方水滸伝がオリジナルと思う粗忽者はそうそういないでしょう。
日本式のカレーやキムチの方が本場のものより好きだという人が多くとも日本がオリジナルだと思う人はほぼ居ないし、万が一、そう思ってたとしてもすぐに気づくレベルの話かと

それに、世界観が全く違う水滸伝はこれだけじゃありません。
例えば杉本氏の悲華水滸伝では登場人物がお互いに「君」付けで呼び合うような代物ですし、水滸伝を題名にいれ内容は現代や未来といったものも数多く見受けられます
また、作品は違いますが陳舜臣氏の秘本三国志では劉備と曹操が結託してたり。
まぁ、それが良い悪いは先にも書いたとおり個人個人ですが。。ただ、それでアジア蔑視はちょっと行き過ぎかなと
………………

引用終わり

そこで返信するためには少々長くなったのでエントリーとしてあげたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さささん
はじめまして
コメントありがとうございます。

私は改編自体をダメだとは思っていません。
ただ、改編をしたのならそれとわかるような示し方があってしかるべきだろう、と考えています。(個人的には、それが自身の小説にネタを提供した原典への礼儀だと思います。)
さささんが提示してくださったように、さまざまな人が水滸伝を自分の小説『水滸伝』を描いています。そして、それらの人は、自分の小説であることがわかるようにタイトルを『○○水滸伝』としたり、全く別のタイトルにしたりするわけです。また、原典からの翻訳であれば、註をつけたり解説をつけたりと、検証が可能なようになっています。原典からの「忠実な翻訳」というのはあり得ない(と、私は思っています)ので、このことは非常に大事です。

そういった点で北方氏の『水滸伝』は大きな問題をはらんでいるというのが私の問題意識です。それは、本文には言及しませんでしたが安能務氏の『封神演義』にも同様のことが言えます。文庫本には「翻訳」と書いてありましたが、コーエーの『封神演義』と読み比べると全く違い、特に申公豹に関しては安能氏の創作の度合いが強いです。また、安能氏の『封神演義』は道教の世界観をことごとく破壊しています。このような改編をするのであれば、「翻訳」ではなく「翻案」、タイトルも『封神演義』ではなく『○○(私本だとか新だとか…)封神演義』とすべきでした。しかし日本において封神演義は安能氏の『封神演義』が封神演義として認識されてしまっています。私は水滸伝にこのようなことがおきるのではないかと危惧しています。
なお、封神演義に関しては以下のサイトをご参照ください。

中国の民衆文化と信仰
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/chpop.html

私はこのサイトの問題意識に共感します。

そこを踏まえて、さささんのコメントにお答えします。

>水滸伝の大幅な改編はアジア蔑視などではなく北方氏の姿勢に拠るものかと。

改編自体にアジア蔑視がある、とは私も考えていませんよ。
ただ、北方氏の『水滸伝』を無批判に水滸伝として受容することに対しては、日本文化>中国文化の構図があるのでは、と考えています。
例えば、私は本文に引用した編集者の文章にそのことを感じました。
その一例としては
>この北方「水滸伝」全巻が、しかるべき後、かつての金聖嘆版七十回本が「水滸伝」定本とされたように北方「水滸伝」が定本になる。
という文言があって、傲慢ではないか、と批判したわけです。(そこがアジアの諸文化を下に見る傾向があるのではないかということの根拠の一つです)
で、その根底に「豊穣な近現代小説」である北方『水滸伝』>中国古典という文化の対立があるんじゃないか、ということです。
そして、北方『水滸伝』を水滸伝として評価する方々が北方『水滸伝』面白い(+原典面白くないとわざわざ言う人もいる)という時に、私は「いや、あなた、中国の文化を理解しようとした?現代日本人に合わせて書いたプロの小説家の小説が日本人にとって面白いのは当たり前でしょう?理解しようともしないで楽なほうばっかりで終わらせるのはどうなのさ?せっかく世界を広げるいいものがあるのに」と思うわけです。
この点は、水滸伝のみに感じるわけではなく、昨今のK-pop・韓流ブーム、沖縄ブーム、日本人の東北観にも感じています。

>また、中国の古典小説は古くから輸入されたものも多く、日本文学に大きな影響を与えました。

さささんの仰るとおり、歴史的に見れば水滸伝は日本人に多大な影響を与えてきました。しかし、吉川英治の『三国志』の登場以降、『三国志』が水滸伝を凌駕してしまい、水滸伝のタイトルは知っていても内容を知らない、という人は非常に多いと思いますがいかがでしょうか。ドラマや小説では確かに書かれていたかもしれません。でも、例えば日本のドラマ『西遊記』を見て西遊記を知っている…とはなりませんよね?(極端な例ですみません…--;)

>北方水滸伝がオリジナルと思う粗忽者はそうそういないでしょう。

そうであれば私の杞憂に過ぎないわけで、まぁいいのですが・・・
①本文でも言及したNHKの水滸伝番組(水滸伝とは言いがたい『水滸伝』を水滸伝として扱う?…全部は見ていないので?です)
②月刊水滸伝(http://suikoden108.com/)というサイトでも北方『水滸伝』の無批判な受容…合わせて吉川幸次郎氏、駒田信二氏の名前すらない。つまり原典(の翻訳)を紹介していない。
③以下の例のようなものをネットで散見
事例1
Yhoo!知恵袋
三国志と水滸伝ではどちらが面白いですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1169917801
の質問に
…………
水滸伝です
三国志は
正統が正義だという考えに基づいてるんでピンとこない
公明も持ち上げ過ぎです
儒教に則ったつくりごとの話しです
本場の水滸伝にも同じようなものがあります
楽しむんだったら「北方水滸伝」です
……………
との回答。三国志と比べるのなら原典かもしくは原典に近い小説をすすめるべきではないか、全く別物の『水滸伝』では比較にならないのではないか、と思うのですが…
同様に「水滸伝を読みたいんだけど何を読んだらいい」との質問に「北方謙三の水滸伝」と答えるものを何度も見ている。

事例2
Yhoo!知恵袋
三国志の本を読んでみたいと思います。北方さんの水滸伝を読んで、中国史っておもしろいなぁと感じてるとこです。
長編でもいいので、読んでいて、心躍るような三国志が読みたいです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1481880284

という質問。
この方は北方『水滸伝』でとどまっているわけで、水滸伝好きとしては「いやいや、あれを水滸伝って言わないで~原典読んでから“水滸伝読んだ”って言おうよ」といいたくなる気持ちは理解していただけるかと思います。ブログ等でもこのような言説(“水滸伝”面白いよ→北方氏のだった:いや、面白いんでしょうけど、せめて北方氏のものなのか、原典の翻訳なのかわかるように…)が多いです。

以上のような点でどうも、杞憂に終わらせてはいけないな、と思った次第です。

>あまりに多くの作家が書き飽和状態(原作に忠実な作品が多すぎる)がゆえに敢えて全く違った世界を描いたという見方も出来ると思います

でもそれは、およそ原作を持つ小説すべてにいえることですが、やっていいことなんでしょうか…?
おそらくこの点が一番大きく見解が分かれる部分であり、北方『水滸伝』を水滸伝として受容するかどうかの分水嶺だと思いますが、私はしてはいけないと考えます。水滸伝の世界をどう料理するかは小説家の勝手ですが、壊してはいけないラインはあると思うからです。それがないなら、極端な話、全く別のお話に、今売れているタイトルを勝手につけることが認められてしまうでしょう。(実際中国に住んでいた際、ジブリの「猫の恩返し」が「千と千尋の神隠し2」というタイトルで売られていた)
タブーへの挑戦とはかっこよい言い方ですがそうであれば、ご自身が書きたかった「キューバ革命」をキューバ革命そのものでやればよい話ではないか…と思わざるを得ません。

>例えば杉本氏の悲華水滸伝では登場人物がお互いに「君」付けで呼び合うような代物ですし…
それらの物は、ほぼすべてが「水滸伝」、「三国志演義」そのままのタイトルではないですよね。作者の小説であることがわかるようなタイトルになっているわけです。

少々長くなってしまいましたが、以上が私の考えです。いかがでしょうか。

さささんには私とは反対の立場から、示唆に富むコメントをしていただき、私も勉強をさせていただきました。ありがとうございます。
  


Posted by はぬる at 21:43Comments(0)雑感・いろいろ

2013年08月22日

何だろう

カブトムシ・クワガタムシの街灯採集をしているのだが、やたらメスが多い。
特にカブトムシはメスだけ6匹に…
カブトムシは冬越えしないから、オスを捕まえて卵を産ませて…としたいのだが、オスがいない。
オスもいないわけではないが、いるときには必ず、変わり果てた姿で見つかる。
小型でいいから生きたオスを早く見つけたい。  


Posted by はぬる at 21:05Comments(0)雑感・いろいろ

2013年08月01日

三国志演義

ようやく諸葛亮登場。
今、張昭たちを論破中。

んでも、袁紹って日本政府を見ているようだった。  


Posted by はぬる at 20:27Comments(0)雑感・いろいろ

2013年07月14日

Are You In Exile?

Exileの意味
名詞…国外追放 亡命 国外放浪 流浪 追放者 流罪人
動詞…国外に追放する(受身で使われることが多い)
   亡命する

Exileとは、要するに権力からはじかれた人々のことを指す言葉だ。だから、彼らは「国」やら政府やらとは一定の距離を保つ。そして時には自分を迫害するものとして政府や権力・「国家」と敵対することもある。Exileとはそういった人々だ。

引用(なお、候補者氏名に関してはイニシャルに変えた)

ネットに自民候補応援写真 NHK、EXILEメンバー出演番組を放送延期
2013.7.13 08:30 [TV・ラジオ番組]    
 NHKは12日、人気グループ「EXILE」のメンバー、USA(36)が、自民党比例代表候補のI氏を応援している写真がインターネット上に掲載されたとして、USAが出演するEテレの番組の放送を参院選後に延期した。(サンケイスポーツ)
 NHKは理由について「報道機関として、政治的公平性に疑念が持たれないように配慮した。個別のケースをその都度判断している」と説明している。
 I氏が8日付のブログに、自身とUSAが並んでいる写真を掲載。USAは「日本の宣伝隊長! がんばってください」などと書かれたメッセージを掲げている。
 番組は12日夜に放送予定だった「Eダンスアカデミー」で、別番組に差し替えた。19日の放送も中止し、参院選後に放送する予定。
 I氏は、プリンのかぶりもの姿で「携帯哀歌」などを歌った音楽ユニット「東京プリン」のメンバーとして活躍したタレント候補。選挙運動が解禁されたインターネットを“主戦場”とし、遊説はせずにネット上で情報を発信している。自民党の公認を得た5月以降は、アーティストを取材しその模様をネットで公開していた。EXILEとの交流も深かったという。
産経新聞

EXILEが候補者応援、NHK番組中止 公平性に配慮[PR]
 NHKは12日、Eテレで放送予定だった番組の出演者が、参院選の候補者を応援する写真がインターネット上に掲載されたとして、この番組の放送を急きょ取りやめた。「選挙期間中は政治的公平性に疑念を持たれないよう配慮しているため」としている。
 番組は毎週金曜夜に放送中の「Eダンスアカデミー」。子どもたちにダンスを教えるためレギュラー出演している人気グループ「EXILE(エグザイル)」のメンバーが、自民党の比例代表候補者と並び立つ様子が、候補者のブログやフェイスブックで8日付で公開されている。
 NHKは来週19日の放送も取りやめ、参院選終了後の26日から再開する。
 問題の写真は、候補者とエグザイルのメンバーのツーショット。候補者は自身のポスターを持ち、メンバーは「がんばって下さい!!」と書き添えたサインを掲げている。今回の参院選からネット利用が解禁されて、候補者は公示後も、選挙活動の様子を自身のブログやフェイスブックで紹介することが可能になった。
朝日新聞  2013年7月12日20時57分

引用終わり

こんな権力べったりで、「君が代」なんか歌って悦に浸っているような奴らがExileなんて本当におかしい。
Exileと名乗りたいなら、むしろ権力やそれを象徴するようなものからは距離を保つべきなのだ。
それなのに、彼らは権力にどんどん近づく。そして意識してかしないでか、政府や権力者の広告塔になっている。
Exileならば、「日本の宣伝隊長! がんばってください」なんていわれたら、「私たちはExile(流浪者、国外追放者)なのだから、日本の宣伝隊長になれる立場にありません。」と答えるのが本当だろう。
あの人たちは恥ずかしくないのか。

もうExileなんて名前やめて、The Agent of Power(A.o.P) とか The Dog of Power(D.o.P)なんてグループ名に変えたらどうか。

この文章は彼らの社会に向き合う態度に対する批判文だ。

KARAWAN
タイにคาราวาน(karawan とか caravan と読むらしい)というバンドがあった。今もあるかわからない。彼らは何度か放送禁止・発行禁止になっている。(คาราบาวとの関連性とかよくわからないことが多いけれど。参考:カラバオバンドの歴史http://krung.exblog.jp/6710868  )
その彼らの歌に
คนไร้ราก (knlailakと読むのかな)というのがある。『根無し草』という意味だそうだ。
http://www.youtube.com/watch?v=4YLJSaIKJA4
http://www.youtube.com/watch?v=Y7qQtdqEE8U
歌詞の中身は全くわからないけれど、オレはこの歌(曲調)がタイトルにマッチしていてすごく説得力を感じた。
คาราวานはこのような歌も歌っている。
http://loogthungthai.blog34.fc2.com/blog-entry-179.html
http://loogthungthai.blog34.fc2.com/blog-entry-278.html

ついでに
http://www.youtube.com/watch?v=unEpBVRUDX8

権力べったりの『Exile』と発禁処分を受けたこともあるคาราวานが歌うคนไร้ราก…

やはり日本の『Exile』はExileではないと思う。
そして、つくづく日本社会には『水滸伝』と水滸伝のような関係が多いなと思う。
日本社会には文化人や芸能人など、多くの人の注目を集めるような人に、社会的なまなざしが全くないか、強い権力に対してあまりにも無批判・無自覚な人が多すぎるような気がする。

今回のExile然り、長嶋茂雄然り…
オレはこのような人たちに対して全く評価しないばかりか、正直、軽蔑の念さえ覚える。
逆に自身の社会的な地位を自覚して、社会を批判的に考えようとする姿勢のある人を評価する。しかしそのような人はあまり表に出てこない。

本質を追究しない社会…日本

でも、本当にそれでいいんだろうか。
  


Posted by はぬる at 15:20Comments(0)雑感・いろいろ

2013年07月08日

水滸伝の前史

ある方から、水滸伝に関して非常に有用な情報をいただいた。

なんと、水滸伝の最終成立以前の明代に描かれた、明代の演劇「水滸伝」が出版されるというのだ。
どのような内容になるかはわからないけれど、大宋宣和遺事とか水滸戯とかで語られた豪傑たちの話が読める可能性が高い。
その中には、水滸伝本伝から抜け落ちた話もある。そんな話をまとめて出版するのだろう。
楽しみである。キリッとした李逵とか、だらしない燕青なんかが、なんであんな人物像に変わったかもわかるかも知れない。そこには中国の人々の想いがはっきり現れてくる。


どうやら、この人が翻訳するらしい。
『月刊水滸伝 Webマガジン 2013年5月1日 中国大衆文化のスペシャリスト・岡崎由美教授が「水滸伝」の魅力を分析』
http://suikoden108.com/webmag/6/

ぜひ、駒田信二氏のような名訳を望みたい。

叢雲乃飜さん、貴重な情報をありがとうございます。
m(_ _)m




ところで…
この「月刊水滸伝」というサイト。
オレはあんまり評価していない。
あまりにも水滸伝の初歩者におもねり過ぎている感じがして、逆にしっかり抑えてほしいところがなおざりになっている。
確かに、間口を広げるという点で大きな役割を果たしているのは認めるが(その意味では北方『水滸伝』も同様に間口を広げただろう)、結局そこから広がらない。むしろ、日本人に合わせた水滸伝しか見えないようになっている。

たとえばBooksのページを見ても、完訳の紹介は吉川幸次郎・清水茂両氏によるものしかない。水滸伝を知らせるのであれば、吉川幸次郎氏・清水茂氏のものに合わせて、駒田信二氏の120回本の紹介もあってしかるべきなのにそれがない。
日本人の小説『水滸伝』が大半を占める。

また、上記で紹介したページに
>「三国志演義」「西遊記」とともに中国3大名著のひとつ
などと書いてあるが、「中国3大名著」というくくりはない。
四大奇書なら「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」、四大名著なら「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」なのだ。なぜ「金瓶梅」「紅楼夢」をわざわざはずす必要があるのか。(「金瓶梅」はトリビアの中で紹介しているのにもかかわらず!!)
水滸伝を広めたいのであれば、「三国志(三国志演義ではない)」にだけ異常に人気が集まり、「西遊記」「水滸伝」はタイトルだけ、「金瓶梅」「紅楼夢」は名前すら知られていないという日本の状況を問題視すべきだ。

まぁ、「何を細かいことをぶつぶつと…」と思うかもしれない。
けれど、水滸伝を広めたいのなら、岩波少年文庫の『水滸伝』(松枝茂夫訳)のような仕事をこそ、ほめるべきではないだろうか。

それができていないので、オレはあんまり評価していないのだ。
  


Posted by はぬる at 21:34Comments(0)雑感・いろいろ

2013年07月07日

理想と現実

今の日本社会では「理想ばっかりでもっと現実を見ろ」といったことがよく聞かれる。

確かに現実を見ないのは、ダメだろう。
理想は飯を食わせてくれないのは確かなことだ。

だが、むやみに現実にのみ目をむけ理想を見ないのもどうかと思う。
現実の延長に理想を抱かないと、どんどん現実が後退していく。
理想のない現実主義は事態を悪くしていくだけだ。

厳しい現実の中で理想に向かうとき、というのは本当につらい。
だからそんなときは愚痴を言ってもいい。
思考停止しないためには愚痴でも何でも、今の想いを話しあう場が必要だ。

一番悪いのは、現実のみに目を向けて、理想を語ってもしょうがないだろうと理想を語ることを諦め、今ある『現実』のみを受け入れてそれ以上考えなくなることだ。

その点、今の日本社会はどうだろう。

理想を現実にあわせるのでなく、現実を理想にあわせていく努力が必要なんじゃないのだろうか。
それがどんなに高い理想であったとしても、周りから『理想ばっかりで、地に足が着いていない』なんて揶揄されても、だ。  


Posted by はぬる at 19:48Comments(0)雑感・いろいろ

2013年07月01日

일어나  立ち上がれ

http://www.youtube.com/watch?v=vkG9i6LZbfw

일어나

김광석

검은 밤의 가운데 서있어 한치 앞도 보이질 않아 
어디로 가야 하나 어디에 있을까 둘러 봐도 소용없었지
인생이란 강물 위를 끝없이 부초처럼 떠다니다가
어느 고요한 호수가에 닿으면 물과 함께 썩어가겠지
일어나 일어나 다시 한번 해보는 거야
일어나 일어나 봄의 새싹들처럼

끝이 없는 말들 속에 나와 너는 지쳐가고
또 다른 행동으로 또 다른 말들로 스스로를 안심시키지
인정함이 많을수록 새로움은 점점 더 멀어지고
그저 왔다갔다 시계추와 같이 매일 매일 흔들리겠지
일어나 일어나 다시 한번 해보는 거야
일어나 일어나 봄의 새싹들처럼

가볍게 산다는 건 결국은 스스로를 얽어매고
세상이 외면해도 나는 어차피 살아 살아 왔는 걸
아름다운 꽃일수록 빨리 시들어 가고
햇살이 비치면 투명하던 이슬도 한순간에 말라 버리지
일어나 일어나 다시 한번 해보는 거야
일어나 일어나 봄의 새싹들처럼
일어나 일어나 다시 한번 해보는 거야
일어나 일어나 봄의 새싹들처럼


立ち上がれ

金光石

暗い夜の真ん中に立っていて 一歩先も見えない
どこに行かなきゃ行けないのか どこにいるのか 見回してみてもどうしようもない
人生という河の水面を絶え間なく 浮き草のように浮かび流されて
どこかの静かな湖に行き着くと 水と一緒に腐っていくだろう
立ち上がれ 立ち上がれ もう一度やってみるんだ
立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように

終わりのない言葉の中で オマエとオレは疲れ果て
また違う行動で また違う言葉で 自分を安心させる
認めることが多くなるほど 新しさは少しずつ遠ざかり
ただ行ったり来たり 時計の錘のように 毎日毎日揺れるんだろう
立ち上がれ 立ち上がれ もう一度やってみるんだ
立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように

軽く生きるということは 結局自身を縛りつけ
世の中がそっぽを向いても オレはどうせ生きているんだ
美しい花ほど早く枯れ 
太陽の光が照らせば透明だった露も 一瞬のうちに乾いてしまう 
立ち上がれ 立ち上がれ もう一度やってみるんだ
立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように
立ち上がれ 立ち上がれ もう一度やってみるんだ
立ち上がれ 立ち上がれ 春の新芽のように
  


Posted by はぬる at 23:39Comments(0)韓国

2013年06月30日

『茶色の朝』

茶色の朝が示す状況は、ただのお話でなく今の日本社会を捉えている。

高橋哲哉氏は解説で「思考停止」に対して非常に強く批判していた。
そのことには大いに賛同する。

だが…
今の日本社会全体がゆとりがなく、何か見えないものに立ち止まって考える余裕もない中で、どのように互いの考えを分け合い、実行に移していったらいいのだろう。

イノシシが興奮して、がけに向かって突っ走っているような状況に今の日本社会はあるような気がする。そしてそのイノシシにいくら立ち止まるような方策を立てても、立ち止まらせることができないのと、にている気がする。
  

Posted by はぬる at 16:39Comments(0)雑感・いろいろ