人形の島  5

はぬる

2013年06月17日 19:22


 目が覚めるとニキは家にいた。
「ああ…舟…入江だ…。」
自分に言い聞かせるように独り言をつぶやいた。
「ニキ、いるか?」
声の主はダダだった。ニキは答えて言う。
「ああ…。ちょっと待って。」
顔を洗い、ダダを出迎えに庭に出た。空はいつものように青く、白い雲がわき出ていた。庭のバナナは大きなみどりの葉を揺らしていた。
庭に面した部屋に入って、ダダは聞いた。
「昨日、行ったのか?入江。」
「…うん…」
「船はあったか?」
「いや。」
「変わったことは?」
ダダが聞くと、ニキははっとダダの顔を見て言った。
「何かある!」
ニキは話した。夜の入江。船はなかったが、明るい時には感じられなかった人の気配があったこと。たくさんの視線。自分が自分でなくなりそうな感覚。
「いや、そんなんじゃないんだ。自分が自分じゃなくなるなんてものじゃなくて、今、この現実がとってもはかないものに感じられたんだ。なんというか…オレたちの、この、現実が本当は存在しないんじゃないかって…」
「なあ、ニキ…お前、何を言っているんだ。今が本当は存在しないんなら、オレたちもいないのか?いない者同士でどうやって会話するんだ?」
 ニキもダダもそれ以上は話を続けなかった。
ダダはニキを誘って市場に出た。ニキは家を出るとき石づくりの黒い水牛をなでた。ひんやりしてかつかつした感覚で、ニキは自分の考えを否定した。
「こんなにしっかりした感覚があるのに、現実が本当には存在しないなんて、なんでそんな風に思ったんだろう…!」
ダダは、ニキに豆で作った麺料理をごちそうした。
「舟をあの入江に置いてきちまった。」
ニキがそういうとダダは
「お前相当あわててたんだな。でも、昨日の今日であの入江に行くのは嫌だな。」
「まあ、そうなんだけどあれがないと、オレはご飯が食べられないから、あとで撮りに行くしかない。」
そう話していたところへ、大雨が降り始めた。通りの人たちは大急ぎでガジュマルの木の下や市場の茶店に逃げ込んだ。ニキたちがご飯を食べている店にもたくさんの人が逃げ込んできた。
「ニキおいしそうだな。」
「今日は雨足が強いな。すぐ止むかな。」
人々は好き勝手なことを言って雨が止むのを待っていた。
「おお、ニキとダダ。丁度いいところにおった。」
そう言ってニキの隣に座ったのは島の長老だった。
 ダダは長老に言った。
「最近ニキがおかしいんですよ。まあ、普段からおかしな奴ですが。」
「ふむ…」
ニキは長老に尋ねた。
「長老、今が本当には存在しない、なんてことありませんよねえ」
長老は答えて言った。
「今が本当には存在しないとして、それをどうやって証明するのだ?存在しない『今』にいるお前が、存在しませんなどと主張することは不可能じゃ。そう主張できるということ自体が、その主張がウソだということではないかな。」
店の中の誰かがそれを聞いて言った。
「でもよう、この世にないものを持ってきて、『これはこの世にない、本当に存在する世の中のものだ』って主張したら、どうなんだい?」
「それは別の世界があるってことで、この世が存在しないってこととは違うんじゃないかな。」
「いや、そもそもこの世にないものをどうやって持ってくるんだよ。オマエ持ってきてみろよ。」
「だから例えばって言ったじゃないか。」
「じゃあ、そんなたとえに意味はないな」
店の中は勝手な議論が始まった。ニキはその議論を聞きながら、あることを考えていた。
「この世にないもの…なんかどこかで…」
長老はその議論を無視して言った。
「ニキにダダ、お前たちに頼みがあったのだ。ハンゾが死んで、もうすぐ三ツ星と十字星が十度南の空に来る頃じゃ。ニキは谷間の祭壇の整備をしておいてほしい。ダダはハンゾの船に積み込む物の準備を頼む。」

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