2011年05月02日

暴力に暴力で応えたらそれは立場が同じこと

確かにアメリカは9月11日に大変な状況を負わされた。
しかし、アメリカはそのことに暴力で応えてしまった。
そして今日、ラディン氏を殺した。
そのことについて喜んでいるアメリカ市民の姿をテレビは映している。
報復テロがあるかもしれない、と不安がる人もいるが、
その通り、その不安はアメリカもラディン氏らと同じ立場に降りてしまっていることを端的に示している。
どちらが先、という問題があるにせよ、ラディン氏側にしたらアメリカがテロに映っているだろう。
暴力に対して暴力で応えるのは根本的な問題の解決にはならないのでは?と思ってしまう。

…というか、テレビは2001年9月11日の事件を非常に大きく取り上げているが、
その30年前の9月11日アメリカがチリでしたことはテロではないのだろうか。
そして、そのことを理由にアメリカがチリから攻撃されたら、
今回喜んでいるアメリカ市民は同じように『喜ぶ』のだろうか。


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