2013年01月14日

北方『水滸伝』を水滸伝として評価することに対する批判文

0.はじめに

以前にも書いたがオレは三国志演義より水滸伝のほうが好きだ。
三国志演義は井波律子氏訳を読んだ。確かに魅力的であったが、日本の過剰な人気にはやはり疑問符がつく。(もっともオレは日本での『三国志』人気は吉川英治氏の小説によるものと考えているので、本当に日本で三国志演義に人気があるとは考えていない)
オレと水滸伝の付き合いはもう20年以上になる。宮下あきら氏のマンガ『魁!男塾』でその存在を知り、松枝茂夫氏の編訳(岩波少年文庫)から入り、駒田信二氏の訳(講談社文庫、最近平凡社版を手に入れた)を何度も読んでいる。中国に住んでいた時は原文を手に入れてきた(崑崙出版)外、結水滸伝(蕩寇志)も手に入れた。また鳥居久靖氏の水滸後伝(平凡社東洋文庫)ももちろん読破済みである。
それはさておき、最近北方謙三氏による『水滸伝』が大変人気を博しているようである。小説としてはかなり面白いのであろう。
しかしである。小説としての面白さと、水滸伝の持つ魅力はまた別物である。
北方氏は自身のホームページでこう語る。

 「演義という形で書かれた『水滸伝』を、現代日本語に訳することに、私は何の意味も見出せなかった。私の中で『水滸伝』は変質し、別の創造物としての再生の時を待っていたのだ、という気がする。私は、自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。」
(http://www.shueisha.co.jp/suiko-yourei/old/  北方謙三 水滸伝|楊令伝のサイト メッセージより)

数年前NHKが水滸伝(『水滸伝』?)の特集を組んだ。解説に北方謙三氏を迎えていた。途中から見たのでどちらを特集していたのかわからなかったが、今考えれば、どちらかというと北方氏の『水滸伝』の要素が多かった記憶がある。その時は、北方氏の『水滸伝』と水滸伝の相違など知らなかったが、なんだか自分の知っている水滸伝と食い違う部分があるな、とは感じていた。
それで、オレは北方氏の『水滸伝』を一度読んでみようと思った。水滸伝好きとしては当然である。けれど読めなかった。手には取ったが、引首(はしがき)はおろか、「遇洪而開」すらないのである。いきなり史進(あやふや。それだけショックが強かった)らしき人物がでていて面喰った。
「遇洪而開」は水滸伝を語る上で重要なキーワード…というかそれがなければ108人の存在はないはずであるが、序盤に見当たらない。これは水滸伝ではないと判断してそっと棚に戻した。
その後ウィキペディアであらすじを調べてびっくりした。20年近く慣れ親しんだ水滸伝とは全く別物だったからだ。
しかし、日本では北方氏の『水滸伝』が広く受け入れられ、原典を踏襲した翻訳や小説が駆逐されている状況がある。そういうわけで、北方氏の『水滸伝』に対して、水滸伝好きのオレとしては問題意識を持たざるを得なかった。
本考察は北方氏の『水滸伝』そのものを批判するものではない。オレは読んでいない(読めない!!)のでその資格はない。北方氏の水滸伝に対する姿勢や、北方氏『水滸伝』を水滸伝として評価する人たちに対する批判である。これは著者本人のコメントや愛読者層の書評を読むことで批判的に考察できる。したがって、北方『水滸伝』を水滸伝としてではなく小説として評価するものは(水滸伝としては切り捨てている愛読者もいる)批判の対象外になる。
(続く)



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