2013年11月26日

三国志演義 感想

三国志演義読了した。
180年ころから始まった三国志演義の世界は、280年ころまでを、120回で描いて終わった。漢の滅亡が220年で、演義では第80回。劉備が死ぬのが223年で、演義では第85回。諸葛亮が死ぬのが234年で、演義では第104回。
井波律子氏は劉備や曹操を第一世代、諸葛亮を第二世代としている。さしずめ姜維や司馬昭、鄧艾、鐘会は第三世代か。第二世代に世代交代するまで、第一世代は80回近くまで登場するため、どうしても彼らの背中を80回以降も追い続けてしまう。それでも関興や張苞らが活躍していたころはまだ、第一世代の面影を探すことができた。趙雲も生きていたし馬岱もがんばっていたからだ。何より孫権が残っていた。けれど次第にその面影も薄れていく。特に姜維が20代で蜀に降伏して以降、第一世代の面影は回をおうごとに薄れて言った感じがした。諸葛亮が死んで、第三世代になると、関羽や張飛の面影はほとんど見えないのは、なんともいえず寂しいものがあった。
また、哀れなのが曹芳以降の魏の皇帝だった。彼らには曹操の面影などほとんどなく、司馬一族の良いように操られ、時には殺されて、結局265年には、220年に曹丕が漢の献帝にしたように晋に禅譲してしまった。
時のめぐりだと言ってしまえばそれまでだけれど、80回くらいから、読んでいて寂寥感が次第に募った。
日本では、『三国志』に関する物語は、その多くが五丈原で諸葛亮が死ぬあたりでピリオドを打つ。
オレはこれには少し複雑な思いを抱いた。というのは、水滸伝との兼ね合いがあるからだ。
水滸伝の場合、金聖嘆が腰斬して以降、108人の勢ぞろい後を省略したりダイジェストにまとめて終わり、という場合が数多く見られる。そして、そうする理由として、退屈な戦争シーンが続くなどといったことを挙げる。
退屈かどうかは各人の判断だと思うが、70回本を翻訳した村上知行氏などは、まことに面白くないと言い切っている。しかしオレにとっては、三国志演義も第一世代退場後は同様だ。物語前半で個人に描写の多くを充てることができ、その頭領たちが戦争で活躍する姿や次々と戦没していく姿が容易に想像できる水滸伝(したがって水滸伝の70回以降が退屈だと感じたことはあまりないし、むしろ、勢ぞろい以降も好きだったりする。そして慣れ親しんできた頭領たちが次第にばらばらになっていく寂寥感は、三国志演義では味わえない部分でもある)と違い、三国志演義の場合は戦争シーンは想像しにくいため(例えば誰かが活躍したとしても「これ、誰だっけ?」となってしまう。120回の王濬・杜預-呉を滅亡させた晋の武将-はその際たるもの)、正直なところ三国志演義の戦争シーンのほうが退屈だったりする。第一世代は個人のエピソードがまだあるほうなので、戦争シーンになっても、想像できるのだが、第2~3世代はなかなか大変である。だから、オレは水滸伝の70回以降がツマンナイという奴らは、三国志演義の第一世代(せめて趙雲)の退場後もツマンナイというべきだと、個人的に考えている。
そういうわけで日本での『三国志』に関する多くの物語が、五丈原以降をあまり取り上げないのは、理由のあることと理解している。(別に賛成しているわけではないが)
とはいえ、三国志演義の100年の時間の流れは物語として必要だ、とも思う。
読了後の寂しさは、物語世界の中で確かに時代が変わったことを感じた証左なのだ。
三国志演義が時代の移り変わりを描いた物語だとすれば、五丈原で終わってしまうのは三国志演義の物語の本質から外れてしまう。そのことは120回の最後の詩が雄弁に物語っている。これは水滸伝では味わえない部分だ。

日本での『三国志』人気がどのようなものか、あえて分析する気はないが、五丈原以降をあまり取り上げないのは理由があることと理解するものの、物語を味わうという意味ではもったいないという気がする。
それだけ三国志演義読了後の寂しさは胸に来るものがあった。


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